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フェンスのotomisanのレビュー・感想・評価

フェンス(2016年製作の映画)
4.2
 もの事はなかなか思うようにいかない。「我が家」というように庭付き一戸建てを構えて、もの固く清掃局の仕事にも前向きに取り組み、細君に二人の息子をもうけていても、夫トロイの半生は大嵐の水浸しだ。

 1904年、フロリダ州タラハシーあたりの農家子作の家に生まれる。世間の最底辺、元奴隷の「我が家」の中でも最底辺、悪党で最低な男の奴隷、11人の子どもたちのひとりだ。
 1918年、彼女といちゃつき中を親父に襲われ彼女を寝取られる。逆上してその場で逆襲するも反撃に合い半殺し。親父も人のつもりでいたが実は悪魔と気付いて、それで親父の「我が家」から去る時が来たと悟る。
 1920年頃、200マイルを踏破した先のアラバマ州モービルで真っ当でない生き方の末、知り合った女と第一子、長男ライオンズをもうけるが、しのぎの上のトラブルで殺人。服役15年。
 その15年間、刑務所で知り合ったボノと馬が合い、こんにち迄むしろボノから頼りにされる関係に。
 1935年頃、ムショ内でボノから教わった野球に開眼し出所後はなんとニグロ・リーグ入り、ピッツバーグの選手に。場外ホームランをねぎらうファンが200人。ボノ曰く全野球界No.3のホームランバッターだった。本人はそののちも、53の今でもらくらく現役(のはず)なのに。ところで、ライオンズの母親は行方知れず、どうなったのか?
 1939年、ローズと結婚。相棒ボノに言わせれば、並み居る女たちを余所のこの選択でトロイという男がよく分かったという。トロイもまた自分の身の置き所をただひとつと確信したわけだが、そこがやがて新たに「我が家」という名の課題となる。家政のあれこれも、のちには人生をどう歩ませるかで、既に手遅れのゲイブ、ライオンズ、そして曲がり角に来たコーリーの将来という課題にも疲れ果て、息抜きの相手に酒場の女アルバータと知り合うまでは。
 1940年、次男コーリー出産、しかし野球界を引退。メジャー入りを人種差別が阻んだとトロイは思うが、年齢のせいと妻ローズは割り切る。しかし、世間に理想のなさを痛感したトロイは'57年の今、下の息子コーリーの大学フットボール入り志望にもいい顔をしない。ところで、野球選手としての稼ぎがその後のトロイ一家のどんな助けになっただろう?貧しい黒人観客のニグロ・リーグの上がりである。のちに一戸を構える足しにもなっていまい。余談だが2020年12月にMLBはニグロ・リーガーをメジャー・リーガーと同等と認めたそうだ。コーリーも存命なら80歳だ。
 第二次世界大戦では、弟、ゲイブが負傷して帰還。その戦傷見舞金3000ドルが一家と戦傷で知的障害を抱えてしまったゲイブのための一軒を構える費えになった。高台でやや中流の構えも決してトロイの功績ではない事、さらにゲイブの犠牲におぶさった事はトロイも気詰まりの元だ。
 1957年、鉄鋼王カーネギーの首都で53歳の元No.3のスラッガーが市の清掃局でドライバーの役にも就けない。では同じ通りの黒人たちが何故中流並みに暮らせるのか、それはそこがピッツバーグで、製鉄現場で熟練工として勤まっているからだ。徒弟として製鉄に関わり始めた彼らと同じ年月を南部の辺境で人でなしな暮らしから始め、殺人で受刑までしなければならなかったのはトロイにはもう取り返しのつかないことなのだ。それを挽回するチャンスの球界でも、メジャー入りを果たせず、今はコーリーに向かって手に職を付けろとドヤすしかない。
 他方、戦争が、ゲイブをあんな風にしてしまった反面、彼らの戦功が世間の黒人への見方を変える切っ掛けにもなったとは本当かも知れない。しかし、現に世間を動かす白人連中の誰が戦場でそれを確かめただろう。気まぐれな風に流されて、この親父の二の轍を踏むようなら、その半生の沈み浮きが曲がり角に立つコーリーの何の役に立った事になるか?ライオンズでは気付かず手遅れとした事をどうして繰り返せるか?
 そして、千里独行のトロイ当人は半信半疑で赤の他人、組合とやらを促し、実は読み書きも不十分で運転免許も持たないまま、白人が独占するドライバー役を清掃局から勝ち取ろうとしている。

 トロイも自分を父親と同じ「我が家」を仕切る「悪魔」な親父なのは承知している。しかし、その悪魔親父もチャンスがあれば、フロリダで地主に借金を作らずに済んでいれば、色の白黒なんぞに拘らず世間の風通しが良ければ、人間のままでいられなかったろうか?
 ところがその親父から逃げ出し、自分の家族からは逃げないつもりが女好きの泣きどころでアルバータに秘密の逃げ場を求めて、結局「悪魔」な実家の親父以下の態を晒す事にトロイは陥る。
 1958年、トロイは妻ローズにアルバータの存在を打ち明ける。やがて素顔を見せぬままアルバータが出産で亡くなり、火宅に転じたここに第3子レイネルを受け容れ、それが時代の後押しに因るのか清掃局では交渉の末昇進、初の黒人ドライバー就任を果たしたが、無学文盲に近い事が祟って手続きを誤り浮浪を繰り返すゲイブを病院に収容される羽目になり、ついにコーリーを大学フットボール以上の危険域、海兵隊に入れる事を呑んでしまう。ゲイブで取り返しのつかない事になっていて、なぜ承知したのだろう。
 結局「我が家」をバラバラにして、それでもローズと不倫の果ての娘レイネルを加え3人だけの我が家をそれでもフェンスで囲うと決心する。そのとき、死神に向かって、まず自分を一番に訪ねてこいと言いたかったに違いない。それでトロイは自分が生きている限り、在不在の別なく我が家のフェンス内のほかの誰をも死神が手を触れない事を約束させたかったのだ。

 そうやって1965年までを針の筵で生きる。分かるだろうか、公民権法の議会通過を見届けて、死神に居留守を使い続けたわけだ。これが黒人らへの不当な扱いが減る契機となるのだから。しかし、一方でベトナム戦争もまだこれから。コーリーも就役6年で既に伍長、もう海兵隊は沢山だというけれど、戦争が本格化する夏までに家族のためであれ除隊できるのか、それともそれが合衆国の盾、公民権を担う者の証し?すなわち仕事だからと事態に向き直るのか。住所不定無職なライオンズもあと9か月の労務所暮らしからやっと念願のバンドを立ち上げられるのか。トロイが死んだ今やっとそれぞれの岐路が見えて来る。
 今ではかけだしながら大天使の喇叭卒ゲイブのラッパに促されるように開く天国の門が決してすっきりしないが、もう誰も悪魔親父に煩わされる事がないとは承知できる。こころに深く刷り込まれた強い強い親父の影を自分を大きく養う事でどこまで小さくさせられるだろう。それでいいと気が付くにはこれほど時間がかかってしまった。結果どんな重大な選択肢を逸してしまったか尋ねようもないが、それもこれも清濁併せ呑んだつもりでいるしかないだろう。

 あまりスコアが低いので他の感想を眺めてしまったが、まるで倫理警察のようなありさまだ。たしかに毒親的だ浮気だと何にせよ芳しい事ではないが、評する言葉にどこか冷静さが無い。トロイという人物を根気よく追っていない感じがしてならない。
 二度と見たくないという向きもあるが、三度でも見ればトロイの愛嬌と実直さから、ローズのトロイこそ相手に一番との「誤解」の果てで決して何の実も結ばなかった訳ではなく、自ら選んだトロイから不実以外なにも受け取れなかったわけでもない事も感じられると思う。そうすれば惜春の65年、トロイのフェンスに守られた庭で空を見守るローズ、ライオンズ、コーリーの家族がそれぞれの人生の矢面に立って同じ思いでいる事に気づかされるだろう。
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