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俺たち文化系プロレスDDTの小のレビュー・感想・評価

俺たち文化系プロレスDDT(2016年製作の映画)
4.0
プロレスは小坊、中坊の必須科目ですから、って感じだったと思う、オジサンが子どもの頃は。どちらかと言えば、キモい系…じゃなかった草食系でインドア派の自分でも友だちとプロレスの真似事はしたし、コブラツイストとか卍固めとかを弟相手に自主練した。

そんな自分でも、「文化系プロレスDDT」って何なの?と。 DDTは「Dramatic Dream Team」の略で団体名だからまだよいとしても、文化系プロレスって意味わからんし…。

するとそんなオジサン疑問を知ってか知らでか、そのものズバリ「文化系プロレス『DDT』って何?」という題の記事があった。
https://allabout.co.jp/gm/gc/426372/all/

要するに、従来のやり方ではお客さんは集まらない。だったら面白いこと、笑えることをとことん追求し続け、これまでプロレスを見なかったような層を取り込んでプロレス界全体を盛り上げよう、というのが文化系プロレスってことでいいのかな?

何故ハテナがつくのかといえば、この映画は従来型プロレスの王道を描いているように思うから。DDTプロレスリングのHARASHIMA選手と新日本プロレスリングの棚橋弘至選手、両エースの因縁対決のドキュメンタリー(注:新日本プロレスは、あのアントニオ猪木さんが設立した老舗。DDTと異なり勝ち負け重視の従来型のプロレス団体)。

ことの始まりは2015年8月のDDT両国大会。HARASHIMA選手と棚橋選手がシングルマッチで対戦し、棚橋選手が勝利。すると棚橋選手がDDTのような団体を批判した発言をする。その内容を自分的に解釈(大げさに曲解)すると次のようだ。「俺たちのような正統派とあんなイロモノを一緒にしないでくれ」。

はい、でましたー。こういうことで遺恨をつくって、次の物語(対戦)につなげる。これ、私の知っている従来からのプロレス。こんな挑発は軽くスルーして、我が身を行くのが文化系プロレスDDTと思いきや、そうではなかった。

DDTはAKBに真似た総選挙があり、そこでは3名程度のユニットが人気を競う「ユニット総選挙」というのもあって、1位のユニットには興行権が与えられる(こんな試合がしたい、とワガママが言える)。

すると1位になった、スーパー・ササダンゴ・マシンことマッスル坂井選手、男色ディーノ選手、大家健選手のユニット〈#大家帝国〉は、棚橋選手とのタッグマッチを要求。DDT側は、もちろんHARASHIMA選手、正統派プロレスを良く知らないが故に「棚橋選手が知らないプロレスをする男」大家選手。

このマッチメイクで大家選手を選ぶあたりが文化系プロレスの面目躍如なんだろうけど、試合内容はとてもマジメ。従来型の、戦いで観客を盛り上げる系で、バラエティー要素は見受けられない。

映画そのものもバラエティー色は強くない。これは「映画では直球しか通用しない」という共同監督の松江哲明監督の考えによるものらしい。
http://number.bunshun.jp/articles/-/826910

この映画の主たるストーリーは、弱者が強者に立ち向かい大団円というまさに直球(試合のラストは意外な形でしっかりオチがついてました。さすが、文化系プロレス)。そしてプロレスに人生を捧げる大人になれない大人たちのドキュメンタリーでもある。

DDTの文化系プロレスとは何なのか。次に引用する文章が、さくっとネットを見た中では一番的確ではないかと思う。
http://number.bunshun.jp/articles/-/821503?page=3

<「どれだけコミカルな試合があっても、最後はシリアスな闘いで締めるから素晴らしい」といった単純な公式は当てはまらない。笑いも脱力も興奮も感動も、DDTではすべてが等価なのだ。世間では、そんなイベントを何と呼ぶか。“最高のエンターテインメント”に決まっている。>

「笑いも脱力も興奮も感動も、すべてが等価」。これ自分の考えと同じ。個人的に言えば、仕事も遊びも、職場もプライベートも、すべてが等価。だって、そうでなければ、人生はつまらないから。

ところで上映前に、マッスル坂井選手が名物の「煽りパワポ」で映画の紹介をする映像が流れる。これが滅法面白い。個人的にはこれだけでも見て良かった。この土、日(12月17日、18日)ポレポレ東中野で生で観れるから、行くか行かないか、思案投げ首中。
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