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レミニセンティアのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

レミニセンティア(2016年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

【日露】

「реминисценция(レミニセンティア)」、邦題、副題を付けない潔さがいいね。ロシア語の意味は”追憶”など、英語でreminiscence、ラテン語に語源のある言葉らしい。人の記憶を巡る不思議なお話(SFというほどSF感はない)。

 井上監督の心意気で観に行こうと思った作品。予告編は観てなかったし、タイトルからも内容が想像つかないので、珍しく事前にオフィシャルサイトで予習。自主制作、自主配給、監督自身も脚本、撮影、照明もこなす奮闘ぶり。ロシア人の奥さんがプロデュースを務め、娘さんが出演と一家総出の、ある意味大博打な作品?(笑)

 井上監督は10年以上前、アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『太陽』のメイキング映画のスタッフとして参加、ロシアでの撮影現場で”衝撃的な出来事”を体験したと書いてある。「すべてのスタッフが美的センスを持ち、アシスタントの子でも監督に意見できる環境」とのこと。ちょっと微笑ましかった。そうなのよ、ロシアって職に貴賎なしを地で行くお国柄(所得格差はあるけれど)。うちのM市の事務所でも給仕のおばちゃんもドライバーもほぼ対等の、むしろエラそうに口をきいてくる(笑)
 そして、確かに文化、芸術に対する意識も高い。自分の経験では街のラボに写真の現像を持ち込んだ時、出来上がった写真を見て店員の20前後の若いお姉ちゃんが「いいわね、これ。パターンとそれを崩した部分との対比がいい」といっぱしの批評を加えてくれたりなんかしたもんだ(笑)
 なんだか、そんな懐かしい思いにもさせてくれて、よし、観に行こう!とあいなった。

 思い立ったが吉日で週末のレイトショーへ(今はその時間帯しかやってない)。まったく知らなかったのだけど、その日は上映前に監督の舞台挨拶があった。自主制作に至った経緯など興味深い話をしてくれた(下記添付画像)。

 自主制作とはいえ井上監督の思いは「ちゃんとした商業作品を作る」だったとのこと。商業作品としてのレベルを保つために逆算していくと、最少編成(それが一家総出!・笑)の自主制作作品になったのだとか。しかも最初は自主制作は伏せておきたかったそうだ。周りから自主制作を前面に出した方がいいよとアドバイスをもらい(マーケティング、プロモート的視点からなのでしょうね)、自主制作、自主配給を謳うようになった。

 いろいろ撮影現場での話(上記のようなエピソード)など、インタビューアーに訊かれるまま喋っていたけど、遅い時間の上映だし(21:00~)、話が長引けば帰りも遅くなるのを気にしてか、井上監督みずから話を切ろうとする姿勢が1,2度(それでもかまわず質問を続けようとする無神経なインタビューア)。「遅い時間にすいません、ありがとうございます」という監督の再三の発言に好感度Up(一緒に登壇したヨコハマなんとかという女性監督の鼻っ柱の強そうな受け応えより、よほど好感が持てたよ)。私は作品を観る前からなんだか勝手に満足してしまった(笑)
 
 さて、作品は!? どっかのシネフェスで賞を獲るなど一定の評価はされているみたいで、確かに初監督作品としては、しっかりとした思想を感じさせ、ロシア独特の重い雰囲気も手伝って意味ありげに仕上がっている。「記憶」というモチーフの扱い方としてはさほど斬新さはなく、過去の様々な作品にみられる解釈を寄せ集めたかのようで漠然としていた。 解釈の幅が広すぎる作品だろう(敢えてそうしたという作意もあったかもしれないが)、わが夫婦間でも意見、評価が分かれた作品だった。



(ネタバレ含む)



 舞台は、モスクワから数百キロ離れたヤロスラブリという街。ヴォルガ川沿いの地方都市だ。主人公ミハイロフは人の記憶を消せる特殊能力を持つ。人々から消した記憶を元に小説を書くことが生業の、娘との二人暮らし。噂を聞きつけて過去に辛い想い出のある人々が訪ねてくる。事業で共同経営者に裏切られた男、夫の浮気に悩む奥さん、赤ん坊を不注意で死なせたと自分を責める母親、宇宙人にさらわれたという男など。全員がヤロスラブリで演劇に携わる役者さんだとか。人選が巧みで、さもありなんな人たちなんだなあ、これが。そんなキャスティングは大いに愉しめた。それが一番の見どころかな。

 そんな主人公の元に、こんどは逆に人の記憶を蘇えらせる能力を持つ女性が現れる。このあたりからミハイロフ自身に記憶についての疑問が生じはじめ(勿論、それまでにいくつかの伏線は張られている)、一緒に暮らす娘のミラーニャは実在してなくて、彼が意識の中で作りだした幻なのでは?というミステリータッチになっていくというお話。

 人の記憶や意識の曖昧さ、あるいは目の前に見えている実像、この世界の認識でさえ人とは違って、人はそれぞれが自分の幻想の中で生きているのかもしれないという不思議さをうまく表現していると思った。 それに輪をかけて旧態以前としたロシアの地方都市の情景も味わい深く、ヤロスラブリにある宇宙飛行士テレシコワの記念館の、ちょっと現実離れした建物の佇まいもスパイスとして利いていたと思う。

 記憶というテーマは、結局、答えのないもの。どんなテーゼを元に組み立てても、しょせん個人の解釈の域を出ない。故に解釈の幅も広がるだろうけど、万人を納得させるのは難しいテーマだと思う。逆に答の出ないという点が結論でもあり、拡大解釈すれば、今の現実世界だって、自分の見ている世界と他人とは別の世界を見ている、あるいは民族や国家の視点で見ても誰一人として同じ世界は見ていないという哲学的な思索も出来なくはない。
 結局、最後はループもの的な、まとまったのかまとまらなかったのかのようなオチに持って行かざるを得なかったかあ、とちょっと残念。詰めがやや甘かったかね。
 あとは最少ユニットの製作隊というアラは随所に散見。音声、BGMはちょっといただけないかな。ま、これも個人差だけど。

 二人して首をひねりながら席を立ったが、扉の向こう、終演後も出口でロシア人の奥様共々観客を見送るため立ってらした井上監督。是非、これからも奥さんと二人三脚でロシアもの含め頑張って作品を作っていって欲しいなあ。
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