湯っ子

At the terrace テラスにての湯っ子のレビュー・感想・評価

At the terrace テラスにて(2016年製作の映画)
4.0
観ている間中、居心地悪くて、でもおかしくて、う〜、あるあるこんな瞬間!いるいるこんな人!って、眉毛八の字にして笑ってました。
そしてラスト…来るぞ来るぞって思ってたら…
ホントに来た!!あ〜あ…
立派なのに、微妙にダサいテラスは舞台のよう。








以下、ネタバレ全開で書きます。



テラスでは、パーティに参加する者たちの欲望、願望が剥き出しになるが、実際それを実現するのはテラスではない。
テラスで酒は飲むが、食事はしない。
軽いキスや、何度も話題にのぼる二の腕へのタッチはテラスで。
谷間に指を挟ませる、女主人最大の見せ場は、テラスと家の中の境界線であるカーテン付近で。

若い女が、夫の上司からのセクハラから逃げて、突如ダンスを踊り出すシーン。
このダンスは明らかにセックスを連想させるためにある。
若い女は、男たちの欲望を一心に受けているのを知りながら、女神よろしく踊ることで、彼らをおあずけ状態にさせる。おあずけされた男たちは、彼女のまわりでウロウロカッコ悪く踊るだけ。
ただ1人、彼女に欲望を抱いていない男だけが、彼女と向かい合って踊ることができる。
そこへ女主人があらわれて、途端にダンスが止むのがおかしくて哀しい。

女主人に欲望を抱くものはいないらしい。
美人で金持ちで巨乳で、うすーくてすぐにぱりんと割れちゃいそうな笑顔の仮面を、不機嫌で意地悪な顔に貼り付けてる。
こんなおっかねー女はそりゃあ嫌だね。
若い女は逆に、徐々に不機嫌な顔を隠さないようになるが、男たちはそれに欲望を削がれることはない。むしろ、ご機嫌取りしようとしたり、かえって欲望を募らせるようにも見える。
これは、この場から離れない限り、彼女が弱い立場の人間であるからかもしれない。
男が女に欲望を抱く様子について、悪趣味なくらい原始的に描いている。
若い方が良いし、他人のものが良いし、他の男が欲しがっているものが良いし、弱い者が良い。
女はどう描かれるか。
年嵩の女は、若い女への嫉妬、夫への性的な不満、配偶者に対して経済的に依存しながらも精神的な支配下に置いている様子を。
若い女は、自身の若さやその肉体の魅力をちらつかせてその場を支配しようとする様子を。
夫には反論しても結局逆らえない様子を。
こういう描き方をしてるから、嫌悪感を持つ人はいると思う。

性=生の欲望について描かれているのと同時に、生と死についても描かれている。
病気で大量に減量した彼のキャラクターがそのパートを担っていて、彼は男女のわちゃわちゃには加わっていない。そのかわり、何度も倒れては起き上がり、その場にいようとする。具合悪いなら帰ればいいのに。
身体に悪いことしてるのに、生きていたくてしょうがない。生きていたいのに、身体に悪いけど楽しそうに思えることをやめない。そんな私たち人間そのものの生を表しているみたい。

テラスとそこを隔てるカーテンは、願望とその実現をあらわしているのかな。
そして、生と死も。
そしてラスト。その境界線がひっくり返る。
2階で起こっていることも、2階で起こるべくして起こっているのかな。
フロイトの理論で、エロスとタナトスというのがある。むか〜し、心理学の講義で聴いたのと、本を少し読んだ程度の浅い知識ですが。
エロスは生殖活動であり、生きていくための根源的なエネルギー。
タナトスは死の本能。死への本能のようなもの。

まさにラスト、テラスにてそのふたつがあらわになる。
ただし、ここで描かれるそのひとつ(=エロス)は生殖活動とは違う。ここには今日的なテーマも隠されていて、性というものが複雑になっていることを示唆している。だから、倒れる男(=タナトス)と同じフロアではない、ねじれた空間で対比をしてるんじゃないかと思う。
…何という幕引き!

軽く観るつもりが、思いがけなく、人間とは、男とは、女とは…とうだうだ考える始末になってしまった。やはり、笑いというものを考えると、人間の深いところに行き着くんだね。

いやいや、この映画でこんなに長いレビューを書くとは思わなかったです、juriさん!笑
湯っ子

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