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タリーと私の秘密の時間のスポックのレビュー・感想・評価

タリーと私の秘密の時間(2018年製作の映画)
5.0
育児ノイローゼの話というよりも、レズビアン寄りのバイセクシャルが普通の結婚をし異性との家庭を持ったことで長年蓄積した歪みに精神的に崩壊した話のようにも思える。

同性の女性と結婚できていれば当然出産はできないので育児に人生の時間を奪われることもなしに社会的キャリアも続けていけたし、もっとお金持ちの優雅な生活もできたいただろうし、愛する同性のパートナーとの自分だけを大切にできるゆったりした人生を過ごせていたはずだとの後悔が日に日に精神を蝕んで崩壊したストーリーとも思える。
その証拠にカフェで若い頃に同棲していた同性の女性パートナーに再会してから崩壊が始まっている。

しかし異性との普通の結婚生活では、ただただ腹を満たすことができて命をつなぎ生存する安定した毎日だけでは幸福感が得られない先進国の国々では、毎日毎日に育児や家事などの退屈な同じ事の繰り返しの日常を過ごすことは進歩も刺激も無い不幸な生活であると評価される。
生き物として産まれてきた本来の目的の子育ては女性にとっては人生のキャリアを犠牲にして女性だけが損をするネガティブな災難のような風潮が、子育ては不幸で避けたい作業のような評価が一部の社会に一般化している。
普通の日々を変わらずに平々凡々と暮らせるのは本当はラッキーで幸福なんだということにはならなくなってしまっている。

長い間、男尊女卑のような人間社会だったので無理もないですが、育児に参加できてない夫をダメ男と責め立てないであげて下さい。

民間企業にありがちな過酷な成果重視の代表のようなブラック企業の、いま保険金の不正請求で問題になっている中古車販売店のように人権も尊厳も無視してとてつもないハラスメントのプレッシャーを精神的にも肉体的にも夫である就業者に強いるケースも多くみられるようになっている。
そんな逃げられないきついプレッシャーをいつ終わるとも予測できなくかけ続けられているかもしれない夫の立場も顧みられずに、息抜きのために就寝前にストレス発散のゲームを少し楽しむことすら男は夫は無神経で子育てを手伝っていない、妻の窮地を気づいてあげられないと批判される風潮が息苦しい。

夫婦が自分達の人生で最も可愛い我が子達のために、夫は思うようにいかない会社で生活費を稼ぎ、妻は二人にとって最も大切な実の子供を育てる夫婦間の役割を担当するシンプルな役割分担すら素直に受け入れられない複雑化した先進国の風潮も息苦しい。
夫と妻の役割分担を大多数の夫婦が実行していること自体が遅れた封建的なステレオタイプだと非難することは、大多数の役割分担をしているサイレントマジョリティの夫婦達にとっては息苦しい社会が作り出されてしまっているように感じられる。
育児・子育ては子供が成長して入園や入学で預かってもらえて、いくらかは手が掛からなくなり育児の手間から開放される時がいつかは必ずやって来る。女性はその育児のために使った時間はキャリアを台無しにし、男性だけが得をする社会構造になっているという気持ちは本当によく理解できる。
会社勤めはリタイヤするまでいつ終わるとも知れない自ら転職のリスクを張ることでしか逃げることができないハラスメントの日々を耐えなければならない。
家族を養うためにそのハラスメントから逃れることが出来ない就業の苦しみを持っているかもしれない夫の立場も考えずに、残業後の疲れた会社勤めの帰宅後にも子供の宿題を一緒にしたり朝にお弁当を作る手伝いをして、寝る前のホッとする時間にゲーム遊びでストレスのガス抜きを試みることすらをダメ夫と決め付けるのではなくて、その悩みや苦しみは夫婦にとってはお互い様だと思いやれない風潮の近代社会ではお互いに被害者意識だけが膨らんで不満だけが膨張しているように思われてならない。

縁あって結ばれた夫婦はお互いに思いやりを巡らせて、お互い様の気持ちを持って互いの危機を気付きあい助け合いたい。

自分の本音を言うと休みもない、有給もくれない、サービス残業の日々で夜勤をして疲れて無理難題を実行しなければならない会社を辞めて、奥さんに定年まで家族が生活できる給料を稼いでもらい、私は目に入れても痛くない可愛すぎる自分の子供達の子育てを苦労が多くてもやりたい!