サマセット7

オリエント急行殺人事件のサマセット7のレビュー・感想・評価

オリエント急行殺人事件(2017年製作の映画)
3.8
監督兼主演は「ベルファスト」「マイティソー」(監督)、「TENET」「ハリーポッター秘密の部屋」(出演)のケネス・ブラナー。
脚本は「ローガン」「ブレードランナー2049」のマイケル・グリーン。

[あらすじ]
1930年代のエルサレムにて事件を解決した名探偵エルキュール・ポワロ(ケネス・ブラナー)は休暇に入ろうとするが、ロンドンからの急使に妨げられる。
やむなくイスタンブール初ロンドン行きのオリエント急行に乗り込んだポワロであったが、車内でラチェットなる怪しげな美術商(ジョニー・デップ)より警護してほしいと持ちかけられる。
ポワロは休暇中を理由に断るが、ラチェットは、翌晩何者かに刺殺されてしまう。
時を同じくしてオリエント急行は雪崩のために脱線、雪中に立ち往生を余儀なくされる。
運営会社の役員であるブーク(トム・ベイトマン)の依頼を受け、孤立した列車内で、ポワロの推理が始まる!!!

[情報]
原作は、アガサ・クリスティの1934年発表の推理小説「オリエント急行の殺人」。
ミステリーの女王クリスティの代表作の一つであり、いわゆるミステリー黄金期を代表する傑作の一つとされている。

同原作は1974年にシドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演で映画化されている。
また、デヴィッド・スーシェ主演の決定版的なドラマシリーズ「名探偵ポワロ」をはじめ、ドラマも含めれば、映像化は何度もされてきた。

短編集も合わせて100冊近く刊行されているアガサ・クリスティ作品の中で「オリエント急行の殺人」は比較的初期の作品にあたる。
この時期のクリスティは、「アクロイド殺し」「そして誰もいなくなった」といったミステリー史に残る傑作を連発している。
これらの作品に共通するのは、言わずと知れたミステリー的「大ネタ」の数々である。
しかし、アガサ・クリスティが例えばエラリー・クイーンやディクスン・カーと異なり、今なお史上最高版数のベストセラー作家であり、映画化などの企画が続く人気を保ち続けている理由は、「大ネタ」の存在とは異なる点にあるように思われる。
それはすなわち、会話の面白さ、キャラクターの魅力、舞台設定の巧みさと的確な描写、そして、物語の天才的構成力にあるのではないか。
特に舞台設定の妙と、構成で読者を「騙す」技量は、中期ないし後期のクリスティ作品で多く見られる傾向だ。
その意味で、初期作品である「オリエント急行の殺人」は、クリスティ作品の中では、どちらかと言うと、結末の開示に焦点を絞った、遊びの少ない作品と言えるかもしれない。

さて、ケネス・ブラナーである。
現在2022年3月1日。今月28日には米アカデミー賞授与式だが、彼の監督作「ベルファスト」は多数のノミネートを得ている。
シェイクスピア俳優をキャリアのスタートとする監督にして著名な俳優は、今作の新たな映画化で、ミステリーの古典に何を付け加えようとしたのか。
それこそが、古典が再映画化された時の見どころであろう。

今作は5500万ドルの製作費で作られ、世界で興行収入3億5000万ドルのヒットを記録した。
批評家、一般層ともに評価は分かれており、再映画化に意味を見出せたか否かが評価の分かれ目になったのではないか、と想像できる。

[見どころ]
現代の映像技術で再現される、壮麗なオリエント急行の外装、内装、エルサレムやイスタンブールの風景の数々!
名優ケネス・ブラナーが新たな解釈を加えて演じるエルキュール・ポワロ!!
どいつもこいつも知ってる顔ばかり!名優揃い踏みの豪華キャストが演じる容疑者の面々とその演技!
そんな人はいないかも知れないが、もしも万一原作を読んだことがなく、結末を知らないなら、当然ながら、結末提示の衝撃が最大の見どころになる。

[感想]
普通に良くできていた。満足感あり。

私はデヴィッド・スーシェ版のファンなので、ケネス・ブラナーがスーシェよりも「私の考えるポワロ成分」に不足している点をネチネチ書くことも可能である。
しかし、なぜか、今作鑑賞中一度もそんな気にならなかった。

最初のエルサレムを立つ時の風景の美しさにやられたからだろうか。
ケネス・ブラナーがシリーズ次作に「ナイル殺人事件」(原作は「ナイルに死す」)を持ってきたあたり、彼が「旅行映画」としての要素を「ケネス・ブラナー版ポワロシリーズ」の重要な要素と捉えている可能性は高い。

むしろ、ポワロのキャラクターを新たに広げてやろう、という意気に感心した、というべきかも知れない。
シャーロック・ホームズがそうであるように、ポワロにも解釈、翻案の余地は無限にある。
何しろ33の長編と50以上の短編に登場した原作のポワロ自体、作品ごとに微妙にキャラクターを広げていたわけなので。
ケネス・ブラナー版ポワロは、よりエネルギッシュで、鋭敏で、情熱的だ。

原作の強度は相当なものであり、ネタがバレていても普通に再読、再再読に耐えられるもの。
となれば、今作も面白いのは当たり前、だ。
今作ではいくつかのアクション的な要素も含み、また、結末開示の最終盤に、よりテーマ性を深める展開を加えている。
この点は原作ファンも満足できるのではないか。

忠臣蔵的な豪華キャスト揃い踏みはなかなか楽しい。
ミシェル・ファイファー、Q、レイ、ペネロペ、ウィレム・デフォー、ルーシー・ボイントン(ボヘミアンラプソディ)と、それぞれニヤリとさせるが、やはりジョニー・デップに一番ニヤニヤさせられた。

一つ難点を言うならば、どうせ2010年代にポワロを描くなら、何かもっと新しい挑戦は出来なかっただろうか?という点か。
もちろんないものねだりである。
基本、今作の路線で次作以降も進めるつもりのようだが、果たして。

[テーマ考]
今作は、善悪二元論に基づく正義の執行に存在を賭けていた名探偵ポワロを葛藤に直面させ、その存在基盤を揺るがせる作品である。
正義論、探偵論にも通じるテーマ性があろう。
とはいえ、正直に言えば、「正義の向こう側には、また別の正義がある」というのは、現代ではむしろ常識の範疇だと思われ、ド正面からこのテーマを描くのはさすがに時代的だと思わないでない。

むしろ、古典をアップデートすることで、古典の良さをさらに広めたい。あるいは、古典のポテンシャルによってまだまだ売り上げを稼ぎたい、というあたりが、真のテーマか。

[まとめ]
ミステリーの古典にキャラクターの再解釈などを施した、監督・主演のケネス・ブラナーの意気を感じる再映画化作品。
個人的に一番好きなクリスティ作品は、「五匹の子豚」である。
クリスティ原作といえば超絶傑作「情婦」のリメイクが報道されたこともあった。
今上映中の今作の続編「ナイル殺人事件」もチャンスがあれば見に行きたい。