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オリエント急行殺人事件のnetfilmsのレビュー・感想・評価

オリエント急行殺人事件(2017年製作の映画)
3.8
 冒頭、エルサレムで教会の宝物が盗まれるという難事件に挑むエルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)の姿がある。事件の容疑者として扱われた3人の男女、だがポアロはそこで第四の可能性を示唆し、見事に事件を解決する。シドニー・ルメット版にはない大掛かりなエキストラや建造物を使った場面はアクションも多用した名場面であるが、導入部にはもっと重要なモチーフが隠されている。今作のファースト・シークエンス、勢いよく走り出した少年が鶏の生んだ卵を両手に乗せ、大事そうに走り出す場面がある。しかし天秤に乗せられた左右の卵は高さが合わず、ポアロは定規を使い少年に優しく指南する。次の場面では道路を歩き出したポアロがうっかりと馬糞を踏んでしまうファニーな場面なのだが、片足を糞山の真ん中に突っ込んだポアロは信じられないことにもう片足を突っ込みながら、これで良いと嘯く。この極端な左右対称性へのポアロの神経質な問いは、彼の口髭にも現れている。一見してサルバドール・ダリのような奇抜な口髭は、左右に向かいピンと伸びており、慣れるまでになかなか時間がかかった。シドニー・ルメット版のアルバート・フィニーのちょび髭とは似ても似つかない堂々とした髭であり、彼の左右対称の厳格さがここに凝縮されている。

 主演も務めた今回のケネス・ブラナー版は、アガサ・クリスティの1934年の推理小説『オリエント急行の殺人』を原作とする物語を丁寧に踏襲している。犯行計画になかった名探偵の登場、2日目に殺される被害者、天災による2度目の偶然は、大雪や落石ではなく、視覚的に最も派手な形で描かれる。山腹の高架橋、バンジー・ジャンプも出来るような鉄製の高架に支えられ、列車は突如、不安定さを余儀なくされる。脱線した瞬間、乗客たちはドアを閉めた室内から廊下に投げ出されるというバランスの欠如をも経験する。この左右対称=整合性の問題は当初は彼の捜査の譲れない哲学として表出するものの、事件の全貌が明確になる辺りから、徐々に乱調をきたし始める。今作でこの左右対称から非対称への乱調が一番露わになるのは、密室劇を密室から解放したクライマックスの場面に他ならない。レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の名画のように、客室ではなく左右対称な現場に座らされた容疑者たちと対峙するエルキュール・ポアロの緊張感溢れる葛藤の描写は思わず息を呑む。ラチェットを演じたジョニー・デップのポワロとは対照的な悪役ぶり、ジュディ・デンチやデレク・ジャコビといった演劇界の重鎮、ウィレム・デフォーやミシェル・ファイファーなどベテランたちの好演も光るが、ピラール・エストラバドス(ペネロペ・クルス)のオリジナルにはない起用にはやや疑問も残る。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でレイを演じたデイジー・リドリーの凛とした存在感も頼もしい。
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