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サーミの血のykzrのネタバレレビュー・内容・結末

サーミの血(2016年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

スウェーデンのサーミに対する偏見にドキリとする。日本にもこの場面は同じようにあっただろう。アイヌ、琉球、部落に対して「民族には民族の生き方がある」「都会に出ては絶滅してしまう」とマジョリティの視点から、マイノリティの人々の学習や働く機会を絶ち、マイノリティを強制する傾向は見ていて気持ちのいいものではない。また、サーミに対する「人として扱わない」描写があり、主人公の葛藤に身の裂けるような気持ちになった。マジョリティがエゴでマイノリティの生き方や生業を押し付けてはならないと思う。
けれど、なんらかの属性でマジョリティに立っている時、私もマイノリティの立場に綺麗事でエゴを押しつけてしまっているかもしれないと思った。だからこその、ドキリ。
主人公はサーミから見ると「血を裏切る」という表現に当てはまるが、自身のルーツや生きてきた全てを捨てない限り、「属性」による生き方の制定から切り離されることのない社会に強い問題意識を感じた。
都会に出てからの主人公は信じられないくらい共感性羞恥心を煽られる。匂い、生活動作、知っている常識、自分では生まれ変わったつもりでも染み付いている行動によって属性がついて回ることに歯痒さと、苦しさを感じた。
主人公が「ヨイク」を不本意な流れで民俗学専攻の人々に披露することになった時、「見せ物」として「消費」されている感情と「捨てた物」を使い「消費」している事実が、痛かった。主人公がサーミとして消費され、写真を撮られているシーンと重なった。
変わりたくとも変われない、それでももがき続けた主人公が変わり果てた全てに許しを乞うた時、彼女の人生がやっとサーミである自分を認められたような気がした。
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