菩薩

山<モンテ>の菩薩のレビュー・感想・評価

山<モンテ>(2016年製作の映画)
4.5
なんとなく漠然と5年以内には死ぬだろうなどと思い始めてから、恥ずかしいもので既に15年生き延びてしまっているが、そんな風にのらりくらり生きて来てしまった自分は、きっとこの先も20年25年と、何事も無いように生き延びてしまうのかもしれない。けれどその眼前には常に絶望の壁が聳り立ち、その硬質化した結晶は、叩いたところで崩れず、削ったところで剥がれずに、むしろその強度を年々増しつつある。その壁を自らの業の壁と名付けるのであれば、砕けない事を知り、剥がせない事も知るそれにただ孤独に立ち向かい続ける日々に、果たしてなんの意味があるのか、もちろんそんな物の一切が無い事も既に知っているが、しいて挙げるのであれば、それは死ねないから、いや死なないからと、それ以外の何物でも無いだろう。死そのものはおそらく絶望から逃れる一つの手段であり、また絶望も死から逃れる一つの手段である。登れぬ、砕けぬ、剥がせぬその壁を前にして、完全に屈服する事が出来れば、後はただ淡々とその日が来るのを待てば良いだけであり、それはきっと安息以外の何物でも無いはずだ。では何故そうと知りつつも、微動だにせぬ壁に果敢に立ち向かい、その都度阻まれる日々を続けてしまうのか。手の皮は破れ、頭には白い物が混じり、顔に深い苦悩の溝が刻まれようとも、どうしてその手に持つ槌を捨てられないのか、まさかいつか砕ける日が来るとでも思っているのか、おこがましい、恥を知れと、何処からともなく罵詈雑言が聞こえてくる。山は泣き、墓は暴かれ、岩石は住居を押し潰す、それでも捨てず、しがみついた土地に登る太陽、差し込む陽。育て作物、湧け水よ、大地よ人と共にあれ、そして人を生かし給え。この作品に見る人生、そして希望、しかし同時に更なる絶望を見る。それでも明日からも、またその槌を振り続けるのであろう、無論死ぬまで、そう孤独に、絶望こそが我が人生なのだから。
菩薩

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