Kensho

女の中にいる他人のKenshoのレビュー・感想・評価

女の中にいる他人(1966年製作の映画)
4.2
成瀬作品の中でも異質な作品。
成瀬があまりしない縦構図(特に葬式後の部屋の構図は特徴的だった)や、溝口に近いようなドリーの接近が見られた。

息子の癇癪(風船が空に飛んでいくさまはまさに見事である)や管理人の女の視線、同僚の横領事件などを通していさおが心理的に追い込まれていく様を描いているが、思い返せば最初の電話がかかってくる場面で既にいさおの顔が同一画面で映され、画面を熱心に注視する者はみな、男がなにかやらかしたということが分かる滑稽ともいえるほど簡潔なショットがあったことを見逃しはしまい。

最初に不倫の告白をする場面、成瀬お得意の雷によって停電が起こった後、蝋燭を持ったまま二人は緊密な演技を見せる。また、真の意味での罪の告白がある場面、隧道でまさに成瀬的な視線の交錯と動線が滑らかに配置され、それとは相反して成瀬的とは言えない音楽が鳴り響く中、それしかないという的確なクローズアップによって二人の心情が露呈するのだが、そこで音楽は消え、代わりに一台のトラックがその音響的、空間的な澱みを切り裂くように画面手前へと滑っていく。

このように、かなり計算され、舞台装置としても整ったシークエンスが訴求力をもつのは、言うまでもなくその前の場面に配置された、このフィルムで一番ともいえるみずみずしい二人の逃避行によってであろう。夫の不倫を知ってなお、それによって傷ついた彼の心を懸命に癒そうとする妻(倫理的にそれは今だと許し難いものであるのかもしれないけれど)はなるほど、夫の後を追いかける川岸で「休憩しましょう」と告げるだろう。その刹那、岩の裏で愛し合う男女が垣間見えた瞬間の妻のしなやかな表情と視線が、この後起こるであろう怒涛のノワール的展開に冷え切った幸福感を与えている。
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