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女の中にいる他人のbluetokyoのレビュー・感想・評価

女の中にいる他人(1966年製作の映画)
3.5
刑事コロンボと同じ方式で、冒頭から犯人がわかってしまう。刑事コロンボの場合は、追う側(警部)からだが、この映画の場合は、追われる側(犯人)から描いている。
顔面蒼白、茫然自失状態で歩道を歩いている、田代勤。パブみたいな洋風の居酒屋に入り、ビールを呑んでいる。そこに通り掛かった、友人の杉本隆吉、親し気に店に入ってきて、一緒にビールを呑む。
帰りの電車の中で、杉本隆吉は、いやあ、女房のさゆりは、バーのホステスかなんかでさあ、もう、男とやりまくっていて困ってしまうよ、なんていうようなことを田代に言うのだ。
さゆりを殺してきたばかりの田代は、そうだな、大変だな、と他人事のように生返事。
杉本隆吉、さゆり夫婦の方が、ずっと興味深いような気もする。
さゆりは明らかにセックス依存症のようである。子どもがいないのは、ひょっとすると、この段階で、子どもを作ってしまうと、いったい、誰の子どもかわからなくなってしまうので、杉本隆吉は、セックスができなくなってしまったのかも。
そんなさゆりの誘いに乗って、ほいほいとセックスし続けてしまう田代も興味深い。やはり、杉本隆吉に対して、対抗意識、ライバル心、劣等意識、そういったものがあったのかもしれない。
そんな火遊びをしているうちはよかったのだが、さゆりは田代に首を絞めてくれと頼んだりする。いわゆる、チョーキングゲーム、首絞めゲーム、失神ゲーム、というやつだ。そういう遊びにさゆりは嵌ってしまう。その挙句、田代は手加減を誤って、さゆりを絞殺してしまうのだ。
殺人ではなく、事故と言えばそうなんだけど。
ここまでだと、エロっぽい感じだが、セックスシーンもヌードもまったく出てこない。田代雅子(田代の妻)にとって、どうでもいいことだからである。
一見すると、田代が主人公みたいだが、真の主人公は、田代の妻、田代雅子なのである(タイトルがそうなっているのでそうなのだが)。
たとえば、田代は二枚目ではない小林桂樹さんが演じ、杉本隆吉を二枚目俳優の三橋達也さんが演じているのは、たんに、雅子が、杉本隆吉に好意を持っているからだろう。子どもたちもなついているのである。
ひょっとすると、田代雅子と杉本隆吉は、このあと、再婚するのでは、とも思える。
ただ、まあ、それがどうしたとも思えるので、点は低目にしてある。
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