すずす

光のすずすのネタバレレビュー・内容・結末

(2017年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

初公開時に、銀座の東映会館で鑑賞しました。鑑賞動機は、ディスクライバーという視覚障碍者用に映像解説を行う職業をもつ主人公を描いた、きっと世界で初めての映画であることへの期待と視覚障碍の描き方への興味でした。

映画の主たる舞台は、ある映画のため、視覚障碍者用の解説(音声ガイド)を作成するための会議(モニター会)です。
ガイド原稿を描く(ディスクライブとは描く・描写するという意味)女性主人公・尾崎、そのガイドが適切か否かを審議する5名ほどの視覚障碍者たち(彼らはモニターと呼ばれる)を交えてのモニター会が2度開かれ、完成したガイド付きで映画が上映されるまでが映画の縦軸です。
そして横軸として、尾崎と原稿を審議するモニターの一人中森が背負うドラマが付随してドラマは進行します。

この映画の優れた点のひとつは、実際の障碍者が配役されていたり、取材をきちんと行っている点です。
視覚や聴覚の障碍者には、先天性、後天性、段階も種々様々で、受け止め方も人により異なることが複数の登場人物で描き分けられています。中でも、主人公たる元写真家の中森(永瀬正敏)は、光を徐々に失っている過程で、既に、一般人の視野の100分の一程のスペースでしか世界を見ることが出来ません。僅かに残った視野がいよいよ小さくなり、全盲の状態まで後僅か、そんな絶望感に苛まれています。
この辺りの設定の複雑さが、ドラマに紋切型ではない、生々しさ・切実さを加味しています。例えば、彼の使う音声ガイド付きPCも、我々健常者には見慣れない機械で興味深いものです。

一方、ディスクライバーとして映画の解説を描いている女性・健常者の主人公は、認知症の母を一人実家に残して町で働き、息苦しい毎日が続いています。
そんな二人が心を寄せる物語なのですが、そこに通う気持ちは「愛」という程、判り易く綺麗なものではありません。絶望の中で出逢った二人が、互いにかすかな生きる光・一縷の望みを見出し、つながり合う状況が説得力のある展開で描かれます。

残念ながら、映像は素晴らしく綺麗という訳ではありません。撮影が不十分なのだと思います。また、舞台設定が、奈良の山村の古民家以外は、ありふれた町の会議室、試写室、居酒屋など、現実社会のせせこましい舞台の為、映像の美しさに物足りなさを感じます。

映画の画面サイズがスコープ(縦横比2.35)の横長画面なのも、不似合いだと思います。我々の通常の視野角に近い、ビスタか、もしくは、フラット、スタンダードにした方が、視野を失う過程の写真家・中森の視野と重ねやすく、映画の狙いがはっきり打ち出せた気がします。

一方、監督が自ら手を染めている編集には冴えが見られます。特に、エンディング。
ありふれたラストカットですが、主人公がやっと辿り着いた渾身の一言(ディスクライブ)が載せられ、映画は大団円、絶妙のタイミングでタイトルそしてエンドロールが続きます。ここは、思わず、スタンディングオベーションしたくなるような絶妙の編集です。

カンヌ受賞作『萌の朱雀』、『殯の森』の2本に続き、河瀨直美監督の映画としては3作目の鑑賞。2度とも観終わった際、この監督の映画はもう観ないだろうなぁ、と思っていましたが…二度ある事は三度ありました。
以前観た2作に比べると『光』が最も見やすい印象です。10年以上前のうろ覚えな記憶との比較に過ぎませんが、監督の投影となる役どころが、男女2人の登場人物に分割されている分、見やすかったのでしょうか?しかし、その分、河瀬直美監督らしさは、薄いのかも知れません。過去2作の「もう観ないだろう」という感想とは明らかに違います。

彼女の監督歴の中では”Best”ではなく、“佳品”と呼ぶべき映画かも知れませんが、もし、来るべきバリアフリー社会に関心がおありの方、ご興味をお持ちの方なら是非見るべきマストシーな映画と云って過言ではありません。一言で云うと“愛すべき佳品”、そんな気持ちの良い映画です。
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