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出張のshishiraizouのレビュー・感想・評価

出張(1989年製作の映画)
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かつて、叛乱と、変革と、情熱の時代
。足立、沖島らは、日大映研の出身であり、日大映研そして、その先鋭部隊ともいうべきVAN映画科学研究所は、既成の価値観への対抗としての運動体であったという。そこに同時代に、映像詩人とも呼ばれた城之内元晴が在籍していた。

1986年、城之内元晴が事故で亡くなる。追悼として映画を作ろうという話になり、「いろいろな脚本が集まったらしいけど、やっぱり沖島のが一番良くて。まあ、城ちゃんの死で、映画の現場をずっと離れていたVANの連中が、久しぶりに集まって」(若松)つくられたのが『出張』だった。
その意味で、こちらはもっとゴツゴツ直接的に城之内元晴追悼そのものの映画だった金井勝監督『時が乱吹く』(91)と、双子のような映画だったとも言えるでしょうか。時空を殴り付けるような映像のリズムとともに、新宿ステーション、ステーション‥と響く『時が乱吹く』の「ジョー」「城ちゃん」の言葉は、今の時間にもその「精神の運動」の痕跡を残します。

「映画は、国家が振り撒く幻想のユートピアに隷属している奴隷状態から自立せねばならぬ。ここに我々の映画の原初の、第一の、再生宣言が在る。幻想のユートピアとは、日本民族と日本国家と天皇制である」、「我々の映画の主要な敵は、国家が産み出す擬制のユートピアである」、「我々の映画は出発の原点に国家との訣別、を置く」(城之内元晴のエッセイより)と、力強く語っていた革命の「精神の運動」は今も、『出張』で石橋蓮司が見つめる、あの山の中に生きているのでしょうか‥

「城之内という人は、とに角、素晴らしい人だった()とてつもない善意と、旧制中学生的なバンカラ性を持った人だった。そんな素晴らしい人が、この世を生きるという事は、どう言う事なのか‥()彼の素晴らしさが、全て、マイナスにしか働かない苦しさを、何度も味わったに違いない()現世を生きて行く苦悶、口惜しさ、無力感、屈辱‥()その“現世”を俎上に乗せて、城之内を追悼すべきなのだ」(沖島)
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