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ビフォア・アイ・フォールのkuuのレビュー・感想・評価

ビフォア・アイ・フォール(2017年製作の映画)
3.5
『ビフォア・アイ・フォール』
原題 Before I Fall.
製作年 2017年。上映時間 99分。
人生最後の1日を何度も繰り返してしまう女子高生が、運命から逃れるべく奔走する姿を描いたSFサスペンス。
ローレン・オリバー原作の同名ヤングアダルト小説をゾーイ・ドゥイッチ主演で映画化した。
ライ・ルッソ=ヤングが監督。

17歳のサマンサは親友たちや彼氏に囲まれて充実した高校生活を送っていたが、ある夜、パーティからの帰り道に交通事故に遭い、命を落としてしまう。
翌朝、なぜか自宅のベッドで目を覚ましたサマンサは、自分が死んだ日の朝に逆戻りしていることに気づく。
全く同じ1日が繰り返されていることに戸惑いながらも、事故を回避するべく行動を起こすサマンサだったが。。。

作中、サマンサはシシフォス(シシュポス、シジフォス、シシュフォスとも省略される)に関する授業を受けてる。
神話に詳しい人なら、これはゼウス神を欺いたため、その怒りにふれ、死後、地獄で、いつもあと一息のところで落下する大石を永久に山頂に押し上げる刑に処せられたシジフォスのことを指していることはご存じだと思います。
サマンサの物語と符合してる部分が多々あり、サマンサは、シシフォスと同じように啓示(意識の目覚め)を受けるまで、自分の運命を変えることができないという無益な課題に苦闘する。

規模として、神とサマンサとはかけはなれてるし、冒頭の描きかたはチャラいけど、でもまぁシシュポスを周到してるプロットにはかなり惹かれた。
神の方は、石を何度も山頂に押し上げる苦役に、片や、サマンサは同じ一日をくりかえす。
不条理にほかならない。

小生が尊敬してるフランスの小説家、劇作家、哲学者のアルベール・カミュはこのことを『シーシュポスの神話』(新潮文庫などに翻訳版はあります)の随筆で、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして、人類全体の運命を描き出してます。
今作品も小さな世界ながら、そこを掘り下げ、妄想のスパイスを振りかけ、空想ソースも必要かなパッパっとすれば、
😃💡きっと今作品の原作者もカミュを愛してるのやなぁと感じました。
不条理な状態に対しては、二種類の対応の仕方があるとカミュは云う。

それは、不条理を生きることであり、

片や不条理な世の中から逃避することである。
即ち、カミュはそれを自死である

と述べる。

今作品でもサマンサが心の逃避を選んだならそれは自死に相当する。
人はエスケープを選ぶときはある。
心の均衡を保つため一時期のエスケープは、小生は大いにアリやとは思う。(防衛機制)
しかし、逃げたままなら己を否定し、メタファーとしての自死にほかならないと同じように思てます。
究極の選択である自死に対して、生きることを選択するということはどういうことか。
それこそ、カミュのエッセイと今作品における主題であると思います。

例えば、実存主義の哲学者キルケなんチャラってオッサンは、その不可知(人間のあらゆる認識手段を使用しても知り得ないこと)であるという性質から、世界に神を見た。
つまり、全能の神を用意して、それに跪くことで不条理を克服した。
しかしらカミュはこれを逃避だと断じた。
現代風に書けば甘えかな。
また、ロシア系ユダヤ人の哲学者ハゲのレフ・シェストフは、彼は、世界をわからないものだと諦め、それによって不条理を懐柔すると云っとる。
しかし、我が親愛なるカミュは、人間の理性を信頼しているためこの姿勢を受け入れない。
まるで、ジャンヌ・ダルクのような崇高さ。
今作品のサマンサにはその崇高さが感じられんのは少々残念やけど。
カミュにとってこれらの思想は『哲学上の自殺』にほかならないと説く。
今作品ではサマンサは、この哲学上の自死に向かうかに見えるがあがなう。
カミュは、サマンサの動きしいてはシーシポスの行動を以下の三つのものを提示する。

一つ目は、意識的であり続け、反抗し続ける姿勢。
不条理を生きるためには(今作品ではタイムループに嵌まったサマンサは)、現在その一瞬において醒めており、自分の内面から世界を知り尽くそうという努力が求められる。
それは安住とは対極の緊張感を孕む反抗といえる。
今作品ではチープな言葉通りの反抗を描いてんのは残念かな。

二つ目は、死の意識によってもたらされる自由。
死は絶対不変の帰結点として存在する。
それを思えばこそ、人は生きているその瞬間に意識的であると云える。
仏教哲学で云う一期一会を体感するかな。 

三つ目は、生きている現在時から得られる経験を多量に感じ取ろうとする情熱である。

はぁカミュは愛おしい。
世界は同じ年数生きた人間に同等の経験を授ける。
しかし、そこから何を得るかはその瞬間の生き方に依存するとカミュは考える。
今作品では何度も同じ一日をくりかえすサマンサだけど、一期一会を体感し希望ある世界に戻れんのかは見所と云えるかな。
人は、生きてる以上、一分一秒刹那のなかでも絶えず変化してる。
体を構成してる細胞は死滅しては再生を繰り返してるし、世界も同じように変化してる。
同じような一日を繰り返すサマンサであっても厳密には一瞬であろうと同じサマンサとは云えない。
その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを体得しなくても、そう知るだけでも少しは生き方がかわるかな。
サマンサも、いつの日か体得してるんやろ。
難しいことこの繰り回してますが、先にあげた三つがカミュの主張する不条理から出発した、
反抗  自由  そして熱情
そないなことを妄想しつつ観賞してたら、サマンサはいつしか愛着あるキャラに変化してたし、応援しつつ楽しく今作品を見れました。
穴は多々ありますが、ライトノベル原作とは云え、アルベール・カミュの難解な作品の足掛かりとして見るのは十分な作品だと思います。
ただ、今作品の最後は個人的には好みじゃない終わりかたでした。

僕の後ろを歩かないでくれ。
僕は導かないかもしれない。
僕の前を歩かないでくれ。
僕はついていかないかもしれない。
ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。
   - アルベール・カミュ -

サマンサの道に悟りあれ。
思い悩む人の道に光あれ。
台風が沖縄付近に近づいてるそうですので、日本列島は風が強く吹くみたいなので皆さんお気をつけ下さい😊
kuu

kuu