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ベル&セバスチャン 新たな旅立ちのLCのレビュー・感想・評価

3.9
面白かった。

前作に引き続き、犬さんは無事です。
本作では、前作で「役に立ちたい」と旅立った彼女を探しに行くのだけど、主人公の両親のことも描いている。

ロマ人について。
移動型民族と言われるのだけれど、つまりは定住せずに移動を繰り返して世界各地に散らばった、その人たちや彼らの末裔を指す。その為、各国で違う呼ばれ方をされてきた。ジプシーもそのひとつ。私もスペインで「 Gitano (ヒターノ)」という呼称を聞いたが、ジプシーと言えば通じる?と説明されたことがある。フラメンコの元となった舞は彼らのもの。
現在も移動を続けていたり、どこかに定住していたり、様々みたい。
今は総称としてロマと呼ぼう、という提案が採用されているけれど、元々ロマという呼び名は一部の集団のものだ、という理由で嫌う人もいるらしい。実際、ロマと呼ばれる人々には10以上の種族があるようで、使う言葉も違うそうだ。
主人公の父親がドイツの強制収容所にいたと語ることから分かる通り、ユダヤ人と同様の扱い(虐殺対象)だった。尚、戦後補償においてユダヤ人より不当な扱いを、今も受けている人たちでもある。
作中父親が母親との密会について「ロマは厳しいから」と発言するが、恐らく宗教が関係している。移った先の宗教に改宗する者も多いが、大元はヒンドゥー教だと考えられているみたい。
余談として、現在ロシアの侵攻に抗うウクライナにも存在している。

彼らが何故放浪を始めたのかは、今はさておき、冒頭で主人公が学校に行かず犬さんと山で遊んでいる描写は、たぶんこの「放浪の民らしさ」の描写。
ある時、彼らを定住させよう、という考えが採用されて、その際居住国の職業訓練校に行かせたりとか、納税を義務付けたりとかもしたんだけど、ロマ同士で結婚しちゃダメとか、ロマの子はロマ以外の家庭に入れて教育を、とかも定められてしまって、反発を受けた末に失敗してたりする。
最後主人公に「お母さんは学校行かなくていいって言ってるかも」と言われた父親が笑って受け入れた背景には、こういったものもあるかもしれない。

今作でも、おじいさんがとても愛情深い。
何日もかけて山を歩いて主人公たちを探しに行くのだけど、目的地直前で、飛行機に乗り帰路についた彼らを目撃する。そして喜びに満ちた顔で来た道を、やはり徒歩で戻る。
こういうのって、「休まず頑張ったのに無駄だった」と考えがちなのだけど、兎に角自分に出来る最大限の行動をした、ということが何より大切だし、主人公もその姿をちゃんと見た。自分を探しに来てくれたおじいさんに対する信頼はより強くなった筈で、その後の生活でも共に支え合って生きていけると、本人も周囲も確信できる、その為の事実の積み上げでもある。
「みんな大丈夫だと言うのなら、何故行くのか」と問われる場面があるけれど、大切なのはみんなの安否だけじゃないということなんだよね。

本作、犬さんと熊さんが対峙する場面があり、思わず Disney の作品「 Old Yeller (黄色い老犬)」を思い出してしまった。負けず劣らずの臨場感がある。
その他、前作に負けないくらい犬さんが奮闘する場面がたくさんあり、素直に手に汗握る。主人公と出会う前、このような逞しさで生き抜いてきたんだな、と改めて感じる。

「 Colpo di fulmine 」は直訳すると、雷の一撃、みたいな感じ。字幕の通り「一目惚れ」の意味で使われるけれど、見た瞬間の衝撃の強さをこれ以上ない程に表現していて面白い。甘く花香る風、みたいなふんわりしたものではなく、全身を駆け抜ける電気。
その言葉を教えてくれる人は女の子なのだけれど、彼女も逞しく生きようとしている子で、犬さんの人版のように見ることもできる。だからこそ、作中「女の子とは仲良くできない」とぶーたれる主人公の台詞にクスッとする。君の相棒も女の子やで。

前作では周囲の信じる「野獣像」から犬さんを守った主人公だけど、今作では自分が「ある人を悪い人だと信じる」立場になる。彼にとっては、今回聞く「妊婦に雪山を歩かせた」「息子を探しにも来ない」という言葉が、今の自分の持つ知識(山小屋で生まれた)や状況(探しに来てくれる血縁者の不在)を説明するには説得力があったわけだね。
立場や状況が違えば、例え1つのケースで冷静な思考を保てる人でも、他のケースでは視野狭窄となり、簡単に信じてしまうものがある。そのことを上手に描いたなあと思う。
ちなみに、聖セバスチャンの日は、カトリックでは1月20日。正教会では12月18日(ユリウス暦を採用してると12月31日)なのだけど、いずれも真冬。
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