茶一郎

夜は短し歩けよ乙女の茶一郎のレビュー・感想・評価

夜は短し歩けよ乙女(2017年製作の映画)
4.1
 『夜は短し歩けよ乙女』は、ある乙女が歩き出すまでの物語である。
 四季が凝縮された一年のような短い一夜、何でも起こり得る京都というファンタジックな都を舞台に、大学生の男女の些細な恋が描かれる。膨大な情報量とこのノンストップなストーリーに、おそらく観客の体内時計の針は猛スピードで回り、ただでさえ短い93分という上映時間がおそろしく早く走り去っていくだろう。

 2016年が『君の名は。』の新海誠監督の年だったように、2017年は天才アニメ監督、湯浅政明監督の年。ゼロ年代を代表する大傑作長編アニメ『マインド・ゲーム』から13年間、『四畳半神話体系』『ピンポン』などテレビのアニメーションで「普通のアニメを修行した」と語る湯浅監督が、もう一度、『四畳半神話体系』のスタッフを再集結して、今作に至った。

 ここに、湯浅アニメの「走っているシーン」は全部良い、という説を唱えたい。『〜ヘンダーランドの大冒険』(絵コンテ)の追いかけっこ、『マインド・ゲーム』のクライマックス。湯浅アニメの走るシーンは、登場人物が走るだけではなく、登場人物の周りの世界が彼らを応援するように走っていく、このアニメ的、映画的快感は凄まじい。
 そして、『四畳半神話体系』が、人生の可能性を乗り越え(つまるところ「青春」を「人生における可能性がなくなる過程」とすると主人公はこの青春という通過儀礼を乗り越え)、四畳半という「世界」を走りぬける物語だったように、今作でも主人公男は、愛する乙女のために走る、走る、走る。何とも気持ち良いシーン。

 また、今作はタイトルにあるように、ある乙女が歩き出すまでの物語であった。主人公男が外堀を埋めきった、とようやく走る一方、冒頭から乙女は歩く、胸を張って京都の夜の街を歩き続ける。しかし、物語も終盤に差し掛かると、これは乙女が歩いているのではなく、世界が歩いているに過ぎないということに気付かされるのである。
 「♪命短し恋せよ乙女」、劇中に挿入される「♪ゴンドラの唄」、これが挿入歌として使われている映画史上で最も有名な作品は黒澤明監督の『生きる』だろう。毎日変わらない退屈な事務仕事を繰り返していた主人公が、残り少ない人生でようやく「生きる」ことを知る物語。人は「自分の人生の主人公となり、人生を勝ち続けなければならない」、これは黒澤監督らしい強い人生賛歌、実存主義的ヒューマニズムの結晶だ。
 この『生きる』同様、終盤、終着駅を知らない小さな列車として世界に流され続けていた乙女が、ようやく人生における交換不可能な目的、終着駅を知る。今まで楽々と乙女を歩かせていた街は、彼女を妨げる、これは彼女が初めて世界の流れに逆らって歩き続けたということかもしれない。
 『マインド・ゲーム』のクライマックスよろしく、主人公は妨げる世界を走り抜けた。どうせ短い人生なら、幾分か危険な道を走ってもいいのではないか、湯浅アニメに通ずる人生賛歌なのかもしれない。

 今作がとても力強く感動的な作品なのは間違いがないが、今作の上映前に流れた湯浅監督の次回作『夜明け告げるルーのうた』予告編の数カットを見るに、今作がまだ肩慣らしに過ぎないという期待を感じた。本当に、アニメの力というのは無限大なのだと思う。
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『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』 追いかけっこ(ネタバレ注意)
https://www.youtube.com/watch?v=os6LgQ24Gkg

『マインド・ゲーム』 クライマックス(ネタバレ注意)
https://www.youtube.com/watch?v=OjGHcnJwDHQ&t=165s

黒澤明監督 『生きる』 ♪ゴンドラの唄
https://www.youtube.com/watch?v=l0KkkBbkbBg
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