猫脳髄

ヤコペッティの 残酷大陸の猫脳髄のレビュー・感想・評価

ヤコペッティの 残酷大陸(1971年製作の映画)
3.3
ヤコペッティ=プロスぺリがドキュメンタリーから完全創作に転回した歴史劇。と言っても、奴隷制度が酸鼻を極めたアンテベラム期の南部アメリカに両名がヘリコプターで降り立ち、惨状をレポートするというモキュメンタリ―方式を採用しており、劇中は「移動写真屋」と称して取材にあたる。前作「さらばアフリカ」(1966)でアフリカを飛び回ったヘリコプターが、同じルーツを持つ黒人の苦難をテーマに、今度は時空を超えてアメリカに降り立つという趣向が憎い(※)。

アフリカから拉致され、長い航海を経て新大陸にたどり着いた奴隷たちの姿をかつてない壮大なスケール(かなりの予算が投じられているようだ)でたどると言う一見歴史大作風だが、白人たちによる執拗な虐待や、黒人女性たちのヌードシーンの多用など風向きがおかしくなる。クライマックスでは、唐突に舞台が現代アメリカに戻り、ナット・ターナー(奴隷反乱の指導者)の伝記小説を読みふける黒人青年が、白人家族の虐殺を妄想するさまを映し出す。

ラスト近くでようやく了解したが、本作は黒人系に向けたエクスプロイテーションの色彩が強い。思えば、1960年代後半から70年代にかけては、ブラックパンサーはじめ、公民権運動の残滓が先鋭化した時代であり、黒人層に訴求する煽情的な作品のニーズに当て込んだようだ。いかに壮大な規模で深刻な顔つきをしてみても、どうしてもヤコペッティたちのヤマ師的な性格が顔を出してしまうようだ。

※原題は「さらばアンクル・トム」であり、明らかに前作との関連が意識されている
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