静かな鳥

アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダルの静かな鳥のレビュー・感想・評価

4.1
はちゃめちゃに面白い。
オリンピックに2度出場し、女性選手として史上2人目のトリプルアクセルに成功したフィギュアスケート選手、トーニャ・ハーディングの数奇な半生を描いた本作。世代の違いもあって自分は彼女のことを今まで全く知らなかったし、後半の肝となる「ナンシー・ケリガン襲撃事件」も初耳だったので、本作のあまりにもブッとんだ内容が事実に基づいているということにまず驚く。

話云々の前に、この作品は構成自体がはちゃめちゃで何でもあり。トーニャや元夫ジェフ、母ラヴォナ、トーニャのコーチなどへのインタビュー風の映像で始まり、幼少期から今に至るまでのトーニャの軌跡を辿っていくドラマパートの進みに合わせて彼らが好き勝手に当時を語る。もっと言うと、文字通り"口を挟んで"くる。
マスコミ関係の人がトーニャの実力の凄さについてインタビューで熱弁しているシーンで、「ナンシー・ケリガンの話をしていい?」とトーニャが唐突にその話題をぶった斬る。ラヴォナは自分の出ている場面が少ないと怒りだす。トーニャは、出場した大会での演技のジャンプで転んでしまうその瞬間に言い訳をモノローグでし始め、インタビュー映像に画面が切り替わってしまう。夫婦喧嘩でトーニャが銃を撃ってきた、とジェフが証言するとその通りに再現された映像が流れるが、銃を持ったトーニャが「私、こんな事してないからね」と観客に向かってカメラ目線で訴える。彼女に限らず、ジェフやコーチも"第四の壁"をぶっ壊す(観客に向かって話しかけてくる)。

ストーリーもはちゃめちゃ。小さい頃から母はトーニャに暴力を振るい、トーニャに「スケートが全て」と思わせるところまで追い込む。夫もすぐに手が出る奴で、夫婦喧嘩になると生き死にのかかった乱闘のようだ。このように1つ1つの要素を見ればかなり悲惨な物語だが、Chicagoの「長い夜」やFleetwood Macの「The Chain」(GotG2!!)等のポップな洋楽が流れまくり、終始あっかからんとした雰囲気なのが本作の持ち味だろう。襲撃事件の顛末は、「間抜けな人間(特筆すべきは実行犯の2人!)が、間抜けでお粗末な犯罪を犯し泥沼に嵌まる」といったコーエン兄弟の犯罪コメディ作品の様相を呈してくるのが非常に愉しい。

そんなはちゃめちゃさを支える見事な演出が光るのがスケートシーン。テレビ中継で映るような映像とは一線を画し、トーニャの周囲を滑らかに動き回るカメラ。彼女を撮っていると思ったら、リンク袖のコーチや審査員席にカメラが自由自在に移動している。実際は全体的にCGが多用されているみたいだが、あまり気にならない。白眉は、終盤のリレハンメル五輪・フリー演技で「審査員に靴紐の不具合を訴える」までの一連の(おそらく擬似的な?)長回しだろう。
他にも、前述した洋楽が劇伴として流れていると思ったら、登場人物のいるカフェでのBGMだったり、トーニャのスケート演技での使用曲だったり…と環境音にシフトするのが面白い。
また、トーニャに接近禁止命令を出され家で悶々とする"3人"のジェフをワンカットに収め、その流れのままカメラが家の外へと飛び出し道路の上を緩やかに移動="車の視点"になり、カットが変わると彼の車がトーニャの家の前に到着している…という時間省略表現の鮮やかさ! こういった細かい演出の気が利いている。

はちゃめちゃな物語に確かな説得力を与えるキャスト陣の演技力も圧巻。製作も兼任するマーゴット・ロビーは超ハマり役じゃないでしょうか。ラヴォナを演じるアリソン・ジャネイは、最後まで「真意」の見えない演技で魅せる。ナイフを投げた時のちょっとした表情の変化とかを見ると、彼女が娘に対して本当はどう思っているのかを考えてしまう(それでいて、会話を録音しているという非道さも織り交ぜた脚本のバランス感覚が良い)。子ども時代のトーニャを演じたマッケナ・グレイスも『gifted/ギフテッド』に引き続き流石だ。
加えて、何と言っても外せないのが自称ボディーガードでやたらピザばっか食ってるショーン(ポール・ウォルター・ハウザー)! とりあえず今年中は、フィクションでどんな奇人変人が描かれようが彼に勝る者はいない気がする。"事実は小説よりも奇なり"を地で行くクレイジーな男。襲撃が成功したことを嬉々として語る彼を、ドン引きしながら見るジェフ。その時、恐らく私たち観客もジェフと同じ表情をしている。大ボラを吹いていながらも計画は杜撰だし、警察が問い詰めると直ぐにしどろもどろ(ただ、「警察が来た」とジェフに電話で喋っているのをめっちゃ近くの陰で刑事が聞いているというのは、ちょっと演出として雑だと感じる)。彼だけインタビュー映像の画質が粗いのも、何故かはよく分からないが最高。エンドロールで実際の本人の映像を見ると、本編での言動は別に過剰に盛ってなかったのが分かって怖い。

トーニャはあの環境に身を置いていたからこそ、フィギュアスケートを幼い頃から始めることができ、元々非凡な才能もあったので上り詰められた。彼女にはスケートしかなかった。しかし、その状態は長くは続かない。周囲の環境が彼女をトリプルアクセルの成功に突き動かし、また、襲撃事件を起こさせたのだ。勿論、彼女自身の行いにも非は多々あるだろう。例えば、ショーンを彼女がひどく馬鹿にしたことが、彼にとって計画の実行へと駆り立てる1つの引き金になったように思える。
人は、環境やそれを取り巻く人々からは逃れられない。ラヴォナは「トーニャは、罵倒されないと実力を発揮できない」と語る。この言葉は強ち間違っていないのでは? トーニャがトリプルアクセルを飛んだ大会の演技直前、(多分、これは本作において創作された箇所だと思うが)ラヴォナは金で男を雇い野次を言わせた。クライマックス、演技中に靴紐が取れた時に「適切に」対応された後の彼女の演技の結果もそのことを物語る。
まぁ実際のトーニャ・ハーディングがどうだったのかを自分は知らないし、本当は全く事実とは異なるのかもしれない(現に、トーニャ本人を知る者からは本作の描写に対して否定的な意見が多いようだ)。だが、事実に合っている/合っていないは抜きにしてこの映画を観て感じるのは、人間にとって「周囲の環境」という存在は、切っても切れない関係だということではないか。それは良くも悪くも人生を大きく左右するもので、彼女の場合、その歩みに暗い影を落とす。「暴力は昔から身近にあったから」という理由で、彼女がボクサーに転身するのからもそのことは自明だ。

絶対的な真実など存在しない。インタビュー映像で思い思いに語る彼らの証言の何がホントで何がウソかなんて分からない。ただ、本人は自分の心の中にあるものこそが紛れもない「真実」だと考える。そういう意味では「真実」は人の数だけ存在するとも言える。ただしそれは"フラットな視点"などというゲテモノに中指を立てた、自己満足で偏った「真実」だ。ラヴォナが、勤務中にも関わらずテレビを通して見続けたトーニャの顔。彼女は、娘の表情の中に自分だけの真実を見出したのだろうか。オリンピックでの演技前、控室で化粧をするトーニャが見せる泣き笑いのような顔に私たちは何を見出すか。彼女の本心の表出と捉えるか、殴られて出来た痣を化粧で隠していたように何かを覆う仮面の表情だと捉えるか。一人一人、別々の偏った真実を見出すのだと思う。

スケートの審査員は、「大衆が求めているのは"American Family"だ」とトーニャに語る。愛すべき仲間と憎い敵。平凡な現実を生きる人々は、それを時に優しく見守り、時に溜飲を下げる対象として注視し、時に好き勝手に袋叩きにする。トーニャも、彼女なりに"American Family"として背負っていたものがあったのだろう(彼女が出ていった控室の椅子に「USA」と書かれたジャージが掛けられているのが一瞬映る)。襲撃事件であれだけ大勢集まっていたマスコミはいつの間にか消えた。テレビでは、O・J・シンプソン事件についてニュースをやっている。"American Family"の新たな一員を見つけたのだ。
ラストのボクシングシーン、パンチでぶっ飛ばされるトーニャとトリプルアクセルを飛ぶトーニャのカットバック。どちらにおいても観衆は、拳を上げ、歓喜・熱狂し、息をするのを忘れて見入っている。盛り上がれば"仲間"だろうが"敵"だろうが、そんなことはどうだっていい("America. They want someone to love, they want someone to hate.")。そうやって消費されていく人間は、トーニャのように地面に血反吐を吐きながらも大衆の為に立ち上がるしかない。それが非情な「真実」なのだろうか。
世界のどこでも、当然"Japanese Family"でもそれは同じこと。
何故、そんなことが起こるのか。私たち大衆にとってそれを見るのが「面白い」からに他ならない。

故に、本作のはちゃめちゃな面白さは、強烈な皮肉を帯びて私たちに襲いかかってくるのだ。
静かな鳥

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