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夜明けの祈りのhariのネタバレレビュー・内容・結末

夜明けの祈り(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「信仰というのは最初は…子どもと同じ。父親に手を引かれて安心する。そしてある時…父親が手を離す時が必ずやってくる。迷子になるの。暗闇で叫んでも誰も応えない。
準備してもムダ。不意に襲われて…心を砕かれる。
それが十字架よ。喜びの背後に必ずある」


ソ連兵の蛮行とそれがもたらしたその後を神が与えた試練として受け入れ、乗り越えなければと頭では考えるけれど、心がそれを拒み、苦悩する姿が痛々しかった。
陵辱はただでさえ尊厳を踏みにじられ、心に傷を負うのに、そこに信仰心の揺らぎという、信じてきた拠り所の喪失の危機が加わった苦痛を考えるとひらすらに胸が痛くなった。人生のほとんどを信仰に費やしてきただろう老年の院長ならならおさら辛かったと思う。今更宗教を否定できず、けれど与えられた苦痛があまりにも大きくて乗り越えることは難しい。体も病に冒されていく中で、院長として皆の身の安全と風評を守りながら、次々と生まれてくる子をどうにかしなければならない。その結果があの行動だったと思うと苦しくなる。けれど産まれた子にはなんの罪もないから非道な行為であるし、主人公が見つけた一つの答えのように違う道を見つけてほしかった。

修道女たちはこんなに苦しんでいるけれど、その苦しみを与えたソ連兵は、罪の意識も罰もなく、その後も他所で蛮行を繰り返しただろうことが腹立たしい。
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