きゃんちょめ

許された子どもたちのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

許された子どもたち(2019年製作の映画)
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【私の体験】

私は公立中学に通っていた。中学一年生のときから、私は間歇的にではあるが、イジメを受けはじめていた。私を虐めていたのは、クラスでも悪評が絶えず、家庭環境が最悪であるとの噂も聞こえていた少年だった。主に父親の酒癖の話を私は仲の良い友人から聞いたことがあった。私は彼を警戒していた。

あるときから、私は学校に朝方到着するたびに階段の踊り場で顔を思い切りビンタされていた。私がそれに対する抗議として彼を睨みつけるのを見て彼はケラケラと笑っていた。どんどんビンタの強度と音が強くなっていったことを覚えている。私は何度同じことがあっても決してやり返さなかった。やり返すと彼と同類として自分をみなさなければならなくなるという可能性が本当に屈辱的だったからだ。あるとき、私は彼に直接、次のように告げたことがあった。「俺はお前のように暴力にすぐさま訴える人間を軽蔑している。俺は君とは全然違う。今後、俺たちはおそらく生きていく世界がぜんぜん違うことになるんだろうなと思うよ。俺らのライフパスはもうここ数年以降はずっと永遠に交わることはないだろうから、今、俺はそのことを想うことで、お前から何をされても耐えられる。せいぜい今のうちだよ」と。

このとき、「ライフパス」というおそらく彼にとっては聞き慣れない単語を使ったことを、今でもはっきりと覚えている。私はこのライフパスという単語を、家族にビンタの件について相談したときに聞き覚えていて、それをさっそく使ったのだろうと思う。父が次のように言ったのだ。「俺は小学校の友達なんか中学まで続いたのは一握りだ。中学の友達は本当に仲良しだったやつしか高校まで続かなかった。大学になったころには、中学時代の交友関係なんか、仲良しだったやつまで含めて、焼き畑のように全て消えた。いまでも覚えている人のなかには、総理大臣になりたいと言って笑われていた子がいたけど、それからまったく会っていないが、いま総理大臣になっていないということだけは今も分かる。だから、そんなもんなんだって。人にはそれぞれのライフパスというものがあって、社会には階級というものがある。人と人が、長く似たようなライフパスを辿ることはほとんどないから安心しろ」と。

父の言葉によって当時の私はほんの少ししか安心はできなかったが、すぐに言葉を自分のものにしたことから考えるに、影響は受けたに違いない。しかし、それよりも重要なこととして、私が彼に対して、幼く素朴で、そして残酷な階級差別の意識を自分が持っていると暗示したことが、彼の不公平を敏感に感じ取る鋭敏で、現実的で、そして悲しみに浸透させられ過ぎてしまった心にさらなる傷と火をつけてしまったことだけは、間違いない。彼の見透かすような目には、なんでも見えていた。世の薄皮の背後にあるもの全てを見ざるを得ない状況に適応した目を彼は持っていた。彼は私が優等生ではなくクズであることを知っていた。おそらくあのクラスで、彼だけが私の正体を知っていた。

私はそのとき、そんなことも分からないほど馬鹿だったのである。幼かった。それに対して彼は、私の卑屈な見下しを鋭敏に察知していた。そしてその見下しに、ある不健康さを感じていた。この不健康さとは、私が肉体的な問題、簡素な問題を精神的で、社会的で、複雑な問題へと意図的に履き違えよう(=すり替えよう)としていることがつくりだす不健康さであった。

彼は、名前を見ただけで中国系だと分かるような名前をしていた太った女の子に対して、「さっさと国に帰れ」などと酷い言葉を吐きかけるような子であったが、私に対してはむしろ同類であるとみなしてほしかったように見えた。というのも、彼は私のことがおそらく好きであった。

彼は、私がある仲の良い友人を私の家に誘い、その子に高級なゲームや漫画本を見せびらかしていたのを知っていたし、その友人の家には決して実現しないような子ども部屋を見せびらかして、その友人を大いに楽しませていたことを知っていた。私の家は共働きで親の目もないから、子どもにとっては天国であった。その気になれば、パソコンでエロ動画なども見ることができたのである。彼は私に「俺もお前の家に放課後遊びに行かせてくれよ」と言ってきたことがある。私は「習い事で忙しいから今日は無理だ」と言って即座に拒否したのだが、しかし彼はその後も何度も要求してきた。私はその都度同じ答え方で拒否したが、忙しい日しかないことは明らかに不自然であり、気まずい空気が流れ続けていた。

その後も物品を隠されるとか、嘘のラブレターで呼び出されて笑いものにされるとか、家庭科の提出物を破損させられるなど、幾つかの事象はあった。しかし、強烈に覚えているのは、次のような経験である。

分からない単語を見つけたら「What does the word "X" mean?」という英文を作り、ALTの外国人に英語で問いかけてみようという授業内の一コマがあった。そこで私は、「「vagina」という単語の意味が前から分からなくて困っているから、成績のいいお前がみんなを代表して聞いてきてもらえるか」と男子グループから声をかけられた。私もその単語の意味はわからなかったので、ちょうどいい機会だと思ってALTの先生のところに歩み寄り、そばにあった椅子に腰掛け、英会話教室にも短期間通わせてもらっていたことに由来する流麗な発音の英語で、Xに当該語を代入したうえで当該文を発話したのである。すると、そのALTの先生は顔を真っ赤にして私の膝を拳で強く叩き、「今すぐ自席に戻れ!」と大声で指示した。その一部始終を見ていた男子グループが後ろの席でどっと笑い転げたのを見て、私はどういう単語なのかを次第に把握していった。ALTの先生は、若くスマートな風貌で、大好きだったので、彼とはもう二度と話せないなどと思って、ひどく悔しかったのを覚えている。

中学三年生になると、運動部に入り筋肉がついた体躯となり、そして私は彼を殴りつけた。彼の驚くほどの無抵抗さと細さに、殴りながら涙が出ていた。三年生のときの担任の先生は、私が初めてひどい暴力を振るった日、私を呼び出し、別室で事情を聞いたが、下校時間となったので私は帰された。私の暴力に対して、それ以上の責任追及はなかったようだ。彼は私に殴られて怪我をしただろうと思うが、それ以降、ひとことも話していない。

私は中学卒業を契機に、中学から遠く離れた公立の進学校に通うことになった。地元に戻ってきた今、南北線が彼と私がかつて住んでいた駅を通るたびに、俺の目はずっと彼を探している。彼も26歳だろうと思う。俺の予言通り、ライフパスはあれ以来、交差しない。彼は、俺を理解していた。
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