かじドゥンドゥン

三度目の殺人のかじドゥンドゥンのレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
3.8
すでに殺人の前科がある中年男性ミスミが、食品加工工場の雇い主を河川敷で殺害し、燃やした。動機について話が二転三転するミスミに対して、担当弁護士のシゲモリは、真実はともかく法廷戦術的に、「強盗殺人」を「怨恨殺人とそれに付随する窃盗」に言い換えて主張し、死刑を逃れようとする。

しかしミスミの周辺を調査するうちに、被害者の娘サキエが父から性的虐待を受け、それを知ったミスミが彼女のためにその父を殺めたのではないかという物語が急浮上。これをミスミに問うたところ、彼本人は認めるどころか、突然、そもそも自分が犯人ではないと主張し出す。ミスミの犯人性自体を急に争点とするこの振る舞い(法廷においてはタブー)があだとなって、ミスミは死刑を言い渡される。

これまで関心をもたなかった「真実」について考え続けるシゲモリ。ひょっとすると、つらい虐待体験をサキエに法廷で語らせまいと気づかって、彼女が打明けた真実をミスミは否定し、自ら死刑になったのではないかとも思われるが、その真偽を問うても、ミスミは決定的なことを語らないまま。[完]

ミスミは飼っていた鳥の墓に小石で十字をしつらえ、また、殺された工場社長の焼け跡にも十字の焦げが見られた。つまりミスミの殺人には、悪しき者を罰するという意味あいが透けて見える。そして、ミスミが自らを磔刑に導いたのだとすれば、彼はいわばキリストとして死ぬ。ただしその死の真意は、その目撃者それぞれが彼に読み込み投影する意味に依存するのであって、「客観的な一つの真実」という法定的なフィクションは通用しないだろう――こう見るなら、本作は一つのキリスト論でもある。死んでゆく目の前の男の善性を信じるかどうかが、人間の希望であり救済ということか。