麟チャウダー

Ink(原題)の麟チャウダーのレビュー・感想・評価

Ink(原題)(2009年製作の映画)
3.9
面白かったな〜。
同監督作の「The Frame」よりも夢感が強い。「The Frame」は目覚めた後にこんな夢見たなっていう感覚の映像。今作「Ink」はまさに夢を見ている最中の映像って感じだった。

淡い光を放った映像や、悪夢の激しい点滅、お伽話のような世界観から、やっぱり独特の雰囲気があって奇天烈な夢をしてた。
時間も位置も、人物の視点も飛び交って、情報量も多くてかなり複雑な内容に感じた。初回は混乱したから感動が薄かったのが残念。
頭の中を整理してから2回目を観たら楽しかった。時系列を把握してから観直すと、全ての場面が突き刺さってくる。観れば観るほど、良いな〜ってなった。

今作「Ink」も、次作の「The Frame」もどちらも音楽がめちゃくちゃ良くて、サントラを聴きまくってる。どちらも何回も観てて、そのせいで他の映画を観れないでいるくらいに虜にされてしまってる。

世界観や設定も盛り盛りだし、ドラマからアクション、ファンタジーまで手広くやって、とにかく退屈しない、むしろ忙しいくらいで、かなり見応えがあって楽しめた。

映画だからできる物語、表現としては今作も次作も凄く面白い。しかも編集も脚本も、作曲までも監督自身でやってて、監督の奥さんは製作や衣装、音響をやってて凄いなって思う。もっと評価されて、もっと予算を貰って欲しい。これからも活躍が楽しみな監督になった。

「The Frame」は、自分はどんな物語を背負っているんだろう、背負わされているんだろう、って思わされた。
「Ink」は、自分はどんな物語の一部なんだろう、って思えた。
誰の物語に関わっているんだろう。どういう形で物語に加担しているんだろう、邪魔しているんだろう、助けているんだろう、っていう風に。
それに、喪失や過去と向き合うっていう物語と、自己肯定の物語もあって、自分の物語とどう向き合うべきなんだろうとも思わされた。


時間。過去、現在、未来。

こうなった未来っていうのと、これからその未来になる現在、そして、こういう過去もあったのにっていう時系列がバラバラに描かれて、段々と主人公の数奇な一生が見えてくる物語展開。

観ていて初めはよく分からないのは、人生なんて主観視点じゃ何も分からないっていう感覚を分からせるためだと思う。後になって、やっと理解できるのが人生の中の出来事で、それを体験させるような描き方だと思う。
後になって納得できて、悔い改めさせられるような、まさに一生を体験したような満足感があって良かった。

でも、人生なんて今のことしか分からないのに、今のことだけ考えていればいいわけじゃないっていう部分もあったと思う。
過去と向き合うこともせず、未来を考えもせず、ひたすら今に没頭した結果に主人公が全てを失うのは厳しい世界だなと思った。

“今”に求められるものが難しすぎる気もした。当たり前のように過去は乗り越えて来ているもので、未来は緻密に計算して備えておくべきで、現在は過去も未来も抱えた上で真摯に休む暇もなく取り組み続けなければならない。っていうのは、人間一人に多くを求めすぎだと思う。
それが出来ないと、大事なものを取り上げるという人生の世界観は恐ろしいと思う。そして取り上げたものを嘆く資格も奪って、時間も与えず、何もかも奪った上で“今”だけを置いて行くのは残酷すぎると思う。
それが主人公に対して罰として与えられるけど、たしかに主人公は過ちを犯したんだけどそれには理由があって、その理由を差し置いて今現在の罪に対して罰を与えるのは酷い気もする。
主人公の過去や背景に配慮が無くて、まさにその態度は人間関係そのものだなとも思った。人の感情や言動の全ては、過去に作り上げられたもので、望んでいない自分が出来上がってしまうことだってあると思う。でも他人はそんなこと分かりっこ無くて、そんな風に人間に罰を与えるのは、この現実の世界観としては冷た過ぎるなと思う。


不運が誰かの幸せへと。

人々の不運っていうのが、自分以外の誰かの運命を変えるために必要なものだったのかもしれない。誰かの悲劇を回避するために必要な、不運だったのかもしれない。僕らの不運が、誰かを別の流れ、別の運命へと運んだかもしれない。というアイデアは希望があって良いなって思った。

自分の身に起こる小さな不運が、どこかの誰かの大きな幸運のための一部かもしれないって思えたら、どんなことが起こってもその先には誰かの幸せがあるのなら何が起きても許せるような気もする。
今ある自分の人生がもっと価値あるもの、かけがえのないもの、に思えるような気がする。
みんなで、地球上の出来事っていう物語を作ってることを、きっと忘れてしまってるんだろうなと思う。それを、思い出させてくれる、教えてくれる展開だったと思う。

一部ではなく、全体を見ればまた違った風に世界が見える。どんな人であっても世界の除け者にされてはいなくて、みんな何かの一部として世界の役割を担っている。

中には一見、不運に見えてもそれはより大きな幸運のためのひとつの手順なのかもしれないものがあって、きっとそれに気付くには何年も何十年も後にならないと分からなかったりするものなんだろうと思う。もしかしたら、人間には気付けなくて神様しか知り得ないことの方が多いのかもしれない。
でもその事実すら知らなかったり、思ってもみなかったら、きっと人生は苦労する。けれど、自分の苦労が誰かの幸せを手助けしていた、大切な人の別の運命を手助けしていたかもしれないって考えられたら、生きるのも楽しくなると思う。
映画でしか知ることができない人生の視点だからこそ、この作品を観て良かったと思える部分なんだろうなと思った。


主人公が望む音楽。娘との音楽。

娘は父親と遊びたかったけど、主人公はたぶん恥ずかしかったんだろうと思う。それは、恥を克服できていないからで、でもそんな父に対してかける娘の言葉は、父が恥を乗り越えるほどに強い言葉だった。自分に対する恥よりも、娘への愛情が勝った場面だった。

娘からの「パパならできるよ」の言葉は、父親にとって、思い出すたび勇気付けられて、幸せを感じられる魔法の言葉だと思う。
「一緒に遊ぼうよ」とは言わずに、「できるよ」って言葉をかけるのは、核心をついた鋭い言葉でもあったと思う。そりゃ、刺さっちゃうよ。

娘のために恥を捨てて、娘を守って戦う姿が主人公が本当に望む姿であって、そうさせてくれた娘への愛情や自分の人生を肯定できた場面なんだと思う。だから主人公にとって真っ先に思い浮かぶ走馬灯だったんだと思う。

そこで流れる音楽が、主人公が感じる幸せとこうありたい願望、娘への思いと娘といる時の自分の肯定、感謝や愛情や幸福が詰まった音楽なんだと思う。

娘の励ましで自分が逃げている部分に気付けたり、娘が自分を本当に望む姿にしてくれたんだな、そんな娘を誰にも奪わせないぞっていう決意。主人公にとっての大切な過去のひとつとして微笑ましくて温かな場面だったなって思う。


妻との音楽。

派手な音楽や大きな音があるわけじゃなくて、小さな幸せや喜びや愛らしさがずっと続いているような音楽。
小さな幸せをずっと感じていられるような音楽で、心からそんな日々で良いと思えていられるんだと思う。
普通の日常で、そばに居てくれるだけでいい、それだけで幸せって感じられること、それに気付けること、それが主人公にとって大事なことだったんだろうなと思う。


主人公の人生の中の音楽。

主人公の朝の日課の場面、切なげな音楽が流れて、その音楽が職場での慌ただしさの中に消えていくっていうのが、仕事をしていることで自分の人生を忘れることに繋がってるんだろうなと思う。

鏡に映る自分ときちんと向き合うことで聴こえてくる自分の人生を表す儚げな音楽。それが仕事へ行くことで、自分の人生っていう音楽が聴こえなくなる。仕事をすることで、大切な過去も、辛い過去も薄れて消えて行ってしまうってことなんだろうと思う。主人公にとって仕事が、向き合うべき自分や、過去からの逃避なんだと思う。

ここでの音楽が、初めは分からなかったけど主人公に何があったかが分かると単に、幸せなふりしただけの音楽だったんだなって気付いてしまう。
鏡を見て無理矢理に笑顔を作る主人公と、そこに流れる音楽も作り笑いしている場面なんだろうな。虚飾の人生を暗示しているんだろうなと思う。

悩みがあったらたくさん仕事をして気を紛らわすってのはあるけど、それは悩みの解決を先送りしてるだけで、中にはきちんと向き合わないと乗り越えられない問題もあるから本当は時間をかけないといけない。
だけど時間は、辛い過去を乗り越えるのを待ってはくれないっていうのが時間の冷たい部分だなと思う。

時間って、日々をやり過ごすには有り余るけど、本当に大事なことや大変なことをするには足りなさすぎると思う。そのせいで主人公が多くのものを失ったんだとも思う。そりゃ、人間も壊れちゃうよって感じ。


ただそばに居てくれるだけでいいのに、どうしてそれが出来ないんだろう。っていう子供目線のような疑問を投げかける物語の視点だったように感じた。

主人公は奥さんと出会ってから幸運だったはずなのに、それを自ら壊してしまったように見えた。
妻が主人公の心を見抜いてくれた。娘が主人公の本当の姿を見抜いてくれた。仕事が主人公の才能を見抜いてくれた。
だけど主人公はその恩を蔑ろにした。驕り高ぶってしまった。本当は運に恵まれていたのに、自分が台無しにしてしまったんだろうなって思う。

主人公は自分を見抜けなかったから、他者の意見の中に、本当の自分を見失ってしまったのかな。
本当の自分を周りが気付いて、過去を知られてしまったり、昔の弱い自分で居続けるくらいなら、周りが期待する自分になろうと思ったのかな。自分が自分じゃなくなるかわりに、知られたくない自分を知られずに済むから、きっとそっちの方が気が楽だったんだろうと思う。
だけど、世界がそれを許してくれなくて、そんな人間を優しく扱ってくれなくて、主人公の人生が壊されていったんだろうと思う。

この物語を通して救おうとしているのは娘でありながらも、全ては主人公のための物語だったんだなって感じた。
ありのままの自分や、本当に望む自分の姿を手に入れる勇気や許しがあったと思う。そして最初から大切な人たちは、主人公の望みを見抜いて応援していたことを思い出させてくれたんだと思う。


避けられない喪失とどう向き合うか。

人生とは突然、大きな喪失を伴うもの。それは誰にも避けられなくて、誰も、どうやっても取り戻せない。その出来事は、残された者に何を教えようとしているんだろう。
喪失に対処する強さは、なぜ初めから与えられていないんだろう。必ず直面する場面に対する強さを獲得するために、一度傷ついて、回復して、より強くなるために、喪失に対して苦しみがあるのかな。でも喪失する対象やタイミングを選べないっていうのは、やっぱり嫌だなって思う。
突然の喪失に対する強さなんて、誰も、いつになっても獲得できないんじゃないかなって思う。
大切な人がいなくなって悲しむのは辛くて苦しいけど、大切な人がいなくなって悲しまない自分も嫌だなってそれはそれで悲しいなとも思うし、人間って厄介だな、欲張りだなって思う。


主人公が夢の中で、きちんと傷ついた、悲しんだ、怖かった、耐えられなかったと伝えられたのは、ああ良かったなって思った。
主人公がちゃんと悲しむことができて、悲しみを知ってもらえて、良かったんじゃないかなって思う。これだけで、どちらもだいぶ救われるんじゃないかな。


失うだけ失って、何も残らなかったら、その喪失すらもこの現実に何の影響も変化も与えないことになるし、それは本当にただ現実から消えたことになる。やっぱり、何か、どこかは世界に必ず変化があるはずで、それが自分の周りとは限らないかもしれない。

残された者が変化に気付けないほど落ち込んでいたり、気付いたら過ぎ去っていたり、その人の周りより遠いところに変化が起こっていたり、もっと未来に変化したり。
その影響や変化を、人間の視点では見えないから余計に苦しいんだろうと思う。人間の心の強度では、喪失の意味を受けきれないんだと思う。

でもやっぱり、喪失がきっと何かを残して、何かを教えてくれたり与えてくれたりする出来事だと思えれば、本当に何かに繋がると思う。別の不幸や悲劇を回避する機会に繋がると思う。後からでもそれに気付けるだけでも、意味があると思う。

たぶん、喪失を無駄にはしたくないって思いだけは、心の隅に強く残ると思う。それがいつかきっと発揮されるんだと思う。その発揮される瞬間が来るまでが苦しいんじゃないかな。無駄にしているように思えてしまって。

喪失はそう簡単に乗り越えられないから、難しいんだろうなと思う。人間にとって、喪失の価値が落ちないようにずっと難しいままなのかもしれない。


音楽、曲の一部。

案内人のセリフ、「神は視力を奪った、その代わり鼓動を聞くことができる。世界の鼓動を。
俺達全員は曲の一部なんだ。ただ音楽が聞こえるんだ」っていうのが、たぶん監督自身のセリフでもあると思うし、願望だと思う。
みんながバラバラなんじゃなくて、どこかで繋がっていたり、団結したり、ひとつになることの肯定とそれを面白がる姿勢が生きていくのに必要って言ってくれているんだろうな。

音楽っていうより、そこにある音。人が発する音が連なってできる音楽。世界は人々の音楽に満ちている。自然は音楽を発している、ただ人間には聴こえてこないだけ。
世界が歌ってる、自然が音を奏でてる、人々はあらゆる動きで合唱している、歌声や音楽に満ちた世界観っていうのは良いなって思う。

たとえ僕らが奏でる音楽が悲劇だったとしても、それぞれにとっては悲劇だったかもしれないけど、その悲劇のおかげで大きな不幸を回避できた人もいたかもしれない。僕らの音楽が、誰かを別の運命へと運んだかもしれない。また、音楽として必要な音色だったのかもしれないなって。


世界に溢れる音が、雑音ではなくて、音楽なんだなっていう。その感性があったら勝ちだなって思う。

五感の不快感って、人生のだいぶ重要な部分を占めると思う。自分ではない他者や外部が発する音を敏感に感じ取る、いちいち反応する生き辛さってなかなかのものだから。
そんな避けられない音を、音楽だと思えるっていうのは音が世界という曲の一部であることを知れて、世界が丸ごと曲であると分かって、世界が音楽なんだと思えること。生きてるだけで音楽の一部なんだから、楽しいのかもしれない。

音を音として捉えているから煩わしく思うのかもしれない。その単一の音には、連鎖反応を起こして、繋がりがあって、物事があると思えれば、音が音じゃなくて音楽になるんだなって。
煩わしい音の背景にある物語を知ることができないから、イライラするだろうな。

単一の音が、何かの一部であると思えれば、それが何かを考えたり探すことで、それがその一部の音の全体を探す旅になる。音の全体、曲の全貌を知る旅になる。

人生まるごと演奏時間ってことなのかもしれないな。終わりのない演奏なのかな。自分の後も、自分が一部だった音楽は途切れずにいつまでも在り続ける。
自分がいなくなった後も自分がいた事実と共に、自分が一部を担っていた音楽が、自分の後の人たちのおかげで続いていく。
それって良いな。みんなと、自分との作品だったんだなって。人類みんながそう思えたら、良いのにな。


物語っていう奇跡。奇跡っていう現実。

この物語の全貌、出来事の全てを登場人物のみんなは知らずに生きて行くんだなって思うと、勿体ない気もするし素敵な気もする。この物語の中の人達は、ほんの一部の物語しか見ていないからこそ、この結末を大事にできるのかなって思う。奇跡だから意味があるのかなとも思う。奇跡っていう現実なんだと思う。

観客はある意味で作為的な奇跡を知っているけど、物語の登場人物たちにとっては純粋な奇跡で、だからこそ奇跡を大切にできるようになるのかな。だから奇跡に意味があるのかな。

物語の外側にいる観客としては、奇跡の全貌を観れたことは素敵な体験ではあったし、観客が全てを知っていればいいことなんだろうな。物語っていう奇跡なんだと思う。

登場人物たちが知らない代わりに、観客が知っていてあげるっていうタイプの物語は大好物です。
麟チャウダー

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