TOSHI

海辺のリアのTOSHIのレビュー・感想・評価

海辺のリア(2017年製作の映画)
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私は若い頃から、老いをテーマにした映画が苦手である。主人公は認知症などと聞けば、尚更だ。老いと向かい合うのを、避けてきたからだろう。それでも年齢を重ねると共に、そういった映画を受け入れられるようになった。小林政広監督×仲代達也主演の「春との旅」、「日本の悲劇」は観ていたため、本作も半ば義務的に観に行ったが、良い意味で予想を裏切る作品だった。
桑畑兆吉(仲代達矢)は舞台・映画にと、役者として半世紀以上のキャリアを持つ、大スターだった(妻とは死別)。まるで仲代達矢が、自分自身のような役を演じている事になる。
離婚調停中の長女・由紀子(原田美枝子)と行男(阿部寛)は、兆吉の遺産と保険金を目当てにしているが、面倒を見たくないため、遺書を書かせた上で、高級老人ホームに入居させていた。由紀子は謎の運転手(小林薫)と不倫関係にあり、行男は彼女にコントロールされ、経営を任された会社は借金まみれだ。兆吉は老人ホームが気に入らず、逃げ出して海辺を彷徨うが、かつて私生児を産み家から追い出した、妾との間の娘、伸子(黒木華)と突然の再会をする。伸子はあてもなく、兆吉に会いに来ていたのだ。二人がかみ合わないやりとりをしている内に、車で兆吉を探していた行男もやってくる。
黒木華が良い。ジャンパー・ジーンズ・スニーカーと男性のような服装で、自分を棄てた親に悪態をつきまくる演技は新境地だろう。基本的にストーリーなどは二の次の、大俳優・仲代達也を見せるための映画であるため、仲代達也を知らない人(若い世代)にはキツい作品の筈だが、黒木華の新しい面を観るだけでも、楽しめるのではないか。阿部寛も、苦境にある(格好良いのに)冴えない男を演じさせたら抜群である(小林薫はセリフが殆どなく、よくこんな役を受けたという印象)。
やがて演じた事がなかった「リア王」の娘・コーディリアの幻影を伸子に見た兆吉に、リア王の狂気が乗り移り、人生最後の輝きが宿る。海を背景にした、リア王の独白が見所だ(仲代達也自身がシェイクスピア劇を何度も演じながら、リア王を演じた事がなかったのは、リア王を翻訳した、黒澤明監督の「乱」に主演したからだという)。兆吉以外にも、伸子の海辺での独白、行男の車の中での長い一人芝居など、印象的な演劇風のシーンがある。
ロケ地は石川県だが(千里浜海岸は、日本で唯一車で走れる砂浜がある事が活かされている)、5人の登場人物以外に、全く通行人がいないのが印象的である。海辺の街がセットのようで、非常に映画的な空間が生まれている。老いに向かい合うというよりも、(ロケにも関わらず)虚構のような空間で演劇風のセリフが展開され、兆吉は本当に認知症なのか、認知症を演じているだけなのかが次第に曖昧になっていくにつれて、老いが解放され、独特の作品世界に昇華されている。
登場人物の感情の揺れ動きや、抑え切れない心情の爆発を見ていると、大仰だったり説明的だったりするセリフが気にならなくなり、本作の作品世界に相応しい物に思えてくる不思議な感覚があった。
由紀子に老人ホームに連れ戻されたが、また海辺にやってきた兆吉が独白をしながら倒れ、死んだのかと思いきや…のラストは、衝撃的でかつてないタイプの希望を感じさせた。
長回し撮影を多用した演劇のような演技に、演劇でやった方が良いのではないかという批判があるようだが、的外れだと思う。演劇をメタファーとした映画ならではの作品であり、80代の老人が主人公の作品としては、信じられないような挑戦的な作品だった。
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