春とヒコーキ土岡哲朗

MEG ザ・モンスターの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

MEG ザ・モンスター(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

サメのデカさだけで真っ向勝負。

デカすぎるサメ。たくさんサメ映画がある中で、シンプルにデカすぎることで個性を出した。それも25メートルという、デカいけど、決してばかばかしくて付き合ってられない程のサイズではない範疇。潜水艇との比較、海底研究所との比較で徐々に大きさをこちらに認識させて怯えさせる。いざ捕えた死んだ巨大サメの体は、思った以上に大きかったとともに、まだ時間的に映画が終わらないから、これよりもデカい2匹目が来るんだろうなと予感させる。人間と仲良くしているクジラの親子がいて、母親が見当たらずまさか…と思っていると子どもの方も巨大サメに食べられる。サメの大暴れ映画を選んで観ておきながら、ちゃんとショック。こういう映画は、「期待はしてたけど、それはやりすぎだよ…」を期待して観るんだろうな。

誰かを犠牲にしなければいけない。
他人・もしくは自分を犠牲にするかどうか判断する、という描写が何回かあること。主人公は過去にメグと遭遇したときに、全員は助けられないと判断して何人か置いていき、その罪悪感と、それを過失として責められたことがトラウマになっている。マシオカは、自分は逃げるのが間に合わないと判断し、仲間のポケットに妻への遺書を入れてハッチを閉めて犠牲になる。医者の先生は、若い仲間を生き残らせるために自分がバシャバシャしてメグを引きつけ、食べられる。
自分から犠牲になったらヒーローだが、客観的に誰かを犠牲にする判断をしなければいけなかった主人公は、救った人もいるのに、一部からしかヒーロー扱いされていない。
金持ちオーナーは、メグのせいでこれ以上犠牲が出たら自分の責任になるという保身から、秘密でメグに爆弾を投下する。被害を出さないために皆に黙って倒しに行くなんてヒーローのような状態なのに、保身で政府にメグの存在を伝えずに勝手に攻撃を加えるからヒーローではない。
主人公は、トラウマがあってもまだ人助けを続けて、ようやく自信を取り戻す。これこそ過酷なヒーローの道。自分を犠牲にした人が自分という代償を払ってヒーローになっているのだから、他人を犠牲にするしかなかった人は罪悪感や責めを受け入れ、チヤホヤされないヒーローにならなければいけない。