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『知事抹殺』の真実の小のレビュー・感想・評価

『知事抹殺』の真実(2016年製作の映画)
3.9
陰謀系のフェイクドキュメンタリーであって欲しいと思うけれど、まっとうなドキュメンタリー。この手の話は別の件について本で読み、そういうことはあるのだろう、という認識ではいた。

1988年から5期18年にわたって福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏。地方分権・地方主権を旗印に国政に真っ向から意義を唱え、原発の安全神話にも疑問を呈してきた「闘う知事」。2006年9月、突然の汚職事件で辞任し、その後逮捕された。この辞任から逮捕、有罪確定までの真実を明らかにすることが目的。

映画が明らかにしたい真実の核心は「知事が社会的に抹殺されたのは『政府の意向』にそぐわなかったから」ということだろう。映画を観て、政府は会社経営者、知事は会社役員かのように感じた。

会社では、経営者の意向にそぐわない役員は更迭される。しかし、知事を“更迭”(リコール)できるのは地方自治体の有権者であって政府ではない。

だから政府の意向にそぐわない知事を“更迭”するには、検察にたたかせホコリを出す。知事にホコリがなくても部下に、組織にホコリがあれば、都道府県庁の長である知事の責任にすることは容易だ。そう考えると、知事のクビは政府次第でいかようにもできるような気がしてくる。

何故、政府が知事をクビにするのか。それは会社の経営者が、自分が決定したことが会社の利益を最大化できると思うように、政府の決定が国益の最大化できると思うからだろう。抵抗勢力や不満分子がいたのでは政府の決定をスムーズに実行できず、国益を損なうかもしれない。だから、排除する必要があるのだと。

厄介なのは利益と違い、国益という概念があいまいなことだ。いや厄介というより、政府にとって都合の良いことかもしれない。国益とは何かがはっきりしないから、政府は自らが決定したことを正当化しやすい。

福島原発の安全性に強い疑問を呈していた佐藤氏の“更迭”は、国のためになったかどうか。もし彼が知事を続けていれば、原発に津波対策が取られ、これほどまでの惨事は起きなかったかもしれない。

だけど、そのことは本質的な問題ではないと思う。結果的に、政府の意向に沿わない知事が国のためにならなかったというケースもあるかもしれない。だからといって民主主義のルールを無視し、政府が経営者と同じようなことをすれば、国民の意欲をくじき、国を土台から腐らせ、取り返しがつかなくなる気がしてならない。

このドキュメンタリーを怖ろしく感じるのは何故だろう。こういうことが起こる国というのは民主国家ではないような気がするから。日本が一党独裁国家や独裁者が支配する国家のように感じるから。

日本を独裁するのは何だろう。それは多分、資本主義というイデオロギーではなかろうか。そういえば、資本主義の超先進国アメリカでは、すでに大統領が政治経験のない元経営者。日本もいずれ…というのは考え過ぎだろうか。
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