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木乃伊の恋のmasatのネタバレレビュー・内容・結末

木乃伊の恋(1970年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

呪われる。
この映画(テレビドラマ)を観たら、
呪われる。
そして、創った者たちは、“バチ”が当たる。

それほどに、禍々しさを、大らかに描いている。
いかがわしさ、禍々しさを、トボけたタッチで描き、呆気に取られる。異様な異常事態を描いているのに、阿保、なのだ。

かくして、監督と脚本家と入定のジョー介を演じた男は、呪われる羽目になった。
バチが当たった。
何と言ったらいいのか・・・やってはいけない境地に達したから、とでも言おうか。

ただ、そのクリエイターたちが、驚くべき非凡さを持って、軽々と大らかにこんなモノを産んだことに驚く。

そんな入定のジョー介のバチ当たりな物語を押し付けながら、しかし、さらなる問題はラストだ。

名女優・渡辺美佐子は、かつて新婚の頃、空襲で亡くしてしまった愛しい夫の亡くなった現場、爆弾が落ちた廃墟の“穴”に佇み、その穴の奥深くに(まるで木乃伊の様に)眠っているであろう忘れられない夫に想いを馳せる。そしてその夫の写真を触り、乳首を弄り自慰行為に耽る。
その瞬間、魔の装置が動き出す。
その写真を渡した作家先生の策略が成功したのだ。彼女の亡き夫への想いと、彼女の若い生と激る性を触発し、同時に、亡き夫の魂を呼び覚まし、作動させた。男と女のありえないパワーを借り、セックス発電装置を作動させたのだ。そして、作家先生の最後の夢である、その女との“交わり”を、その夫の亡霊の肉体を借りて、行為におよび、見事成功させ、昇天するのである。

この異様な行為は、監督と脚本家の異常な執着により、映画的なロマンとなり、観る者を圧倒する。観てはいけないのに、カタルシス満タンなのだから、始末に負えない。
かくして、この映画的クライマックスのロマンを持って、ラストにおいて、観る者を呪いから解き放ち、あの魔の空間から還してくれるのである。
戻れて良かった、ときっと胸を撫で下ろすことだろう。

小学生の頃、深夜に観た、異様なドラマに囚われなかった理由がいま解った。
還って来れたのだ。
還してくれたのは、映画のマジックによってだったのだ。
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