SORA

羅生門のSORAのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

真実っていつも一つでしょうか?
どこぞの漫画でこんなセリフがありました。今作もそんな問いかけが聞こえてきそうです。
私は、芥川龍之介の藪の中をより人間のエゴイズムに焦点をあて煮詰め最後に救いの手さしのべてくれる作品のように感じました。

改めて藪の中と、羅生門を鑑賞後に読み返してみて黒澤明の凄さを感じた。原作はどちらかと言うと、不気味でドロドロして絶望に近いというか…仄暗さがずーんっとたちこめてる用に感じます。
それを、事件から3日後、杣売から見た事件当日の証言などを足すことで黒澤の思う事件を描き、映画にしたその手腕すごい。
藪の中だけを映像化すると、取調べものになって最後は貴方が考えて下さいっと投げ出された観客はモヤモヤっとこの世に絶望して終わってしまいますが、そこに羅生門や下人、杣売り、旅の法師をプラスすることで「お主のお陰で私は人を信じていくことができそうだ」っと、生きることもまだ捨てたもんじゃないよ、もうちょっと足掻いてみようって思える。まさに戦後の動乱の時代に求められる映画なのでは?っと思いました。

京マチ子の演技がすごい。
今作では泣く演技の幅と、その二面性がかなり大切になってくると思いますが、京マチ子はそのどちらも完璧に演じきっていると感じました。よよよっと泣いているのに何処か二人の不快無い身勝手な男達を嘲笑っているかのようにも聞こえる。ピタリと泣き止んだときの鋭い目。時代の中でただ翻弄されているのかと思いきや、翻弄されているのは虐げているはずの二人の男。恥や埃などかなぐり捨てて強く立ち上がって自分で生きる道を見出すわけです。いやーかっこいいですね、泥臭くても汚くっても自分の意志がある女性好きです。
七人の侍を見ても思いましたが、黒澤明の描く女性というのは時代や文化に翻弄されながらも、しっかり自分の意志で何かを掴み取ろうとする心の炎が見える。

セットが凄い。
羅生門の荒廃した様子あれはセットですよね?あと豪雨、あれもふらせてる?いやすごいお金と労力がかかっています。
カメラワークも好きです。走り抜けていくのをカメラは走りながら追ってるのか?カメラが寄っていくときの揺れも人間くささがあって好きです。(昨今の映画はきれいすぎて人の気配を感じないから、そこまで印象に残らないことも多いのかも。)
検非違使のシーンで、証言者と待機してる二人のコントラストも印象的です。映画の後半になると日が落ちて言ってるのも細かいなぁっと思って面白かった。

「わからねぇ」っと頭をひねる杣売の、自分を棚上げして人間の業の深さを考えてるのって人間臭いですね、好きです。
SORA

SORA