アーリー

羅生門のアーリーのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
4.2
2023.11.3

ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作品。
芥川龍之介の「羅生門」かと思いきや、「藪の中」という作品をもとに作った脚本。舞台設定や着物を剥ぎ取る要素を「羅生門」から追加している。

やっと観た。同じ出来事を違う目線でそれぞれ見せるという、いわゆる羅生門・アプローチ。キューブリックの「現金に体を張れ」もこのスタイルやったんか。あとはベルトルッチの「殺し」、リドリー・スコットの「最後の決闘裁判」。後年の作品は観てるのに原点を観れてなかった。

全員が嘘をついている。本当のことも交えながら、自分にとって有利に脚色した話をする。盗賊は男らしく正々堂々戦って勝った。武士は自分から妻を捨てた。女は最後まで夫を愛し続けた。自分の汚い部分、恥ずかしい部分を隠したまま嘘を真実のように語る。全てを傍から見ていた男も、その三人を咎めておきながら現場に残った短刀を盗んだことを隠した。それが人間であり、武士なんて死んでも尚自分を脚色する。死んだ人間を呼び出す方も悪いっちゃ悪いけど。全てを聞いた和尚さんは人間に対して絶望。ただでさえ飢饉や戦、自然災害で疲労しているのに、同胞の人間ですら制御できない不安定なものならば、何を拠り所にこの世を生きていけばいいのだろう。人間は一人では生きていけない。最後はその和尚さんが希望を持って終わるところに黒澤らしさを感じる。人間は変われる。「醜聞」で賄賂を受け取っていた志村喬がその契りを切り、良心に従って己の正義を取り戻した姿を星が生まれたと表現した。最後は人間の良心が勝つ。勝った方が正義。ナチスだって勝てば正義になったとかそんなことは置いといて、なんとなく人間にはこれはいい事、悪い事というのがあるはず。戦後の時代を生きる日本人の感覚でのいい事悪い事かも知れないけど、黒澤はそれに従って希望を問いかける。それでもの精神。それでもいい人は居るし、いい事はあるはず。それでもあいつは許してはいけないし、悪いことは悪い。

修復されているのもあるかも知れないけど、今作から急に映像にこだわりを感じる。アートっぽいというか。これまでの作品はセリフで話を進めていくのが多かったけど、今作は映像とセリフの余白を使ってキャラの感情を伝えるシーンが多かった。特に森の中のシーンの木漏れ日。俳優たちの顔にかかる木の葉の影が美しい。モノクロといっても単純に白黒だけじゃない。グレーがあったり、黒は黒でも何パターンかあったりする。それをなくすようこだわって作ったらしい。モノクロ作品として素晴らしい映像。

三船敏郎のキャラが今までと全然違う。知性のある真面目な男がほとんどやったけど、今作は野生味溢れる粗暴な男。同じ俳優なんか疑うほど。これはこれで魅力あっていいな。やってることは最低やけど。

こうみると「最後の決闘裁判」は今の時代の羅生門って感じがする。今作では女性がレイプされているのにそこは問題になっていない。平安時代という設定やから製作当時や今とは時代が違うと言えど、どこか女性が軽んじられてる雰囲気はある。女は強い男が好き。まぁわかる。だからレイプといえども強さの誇示なので女は受け入れる。ほんまにそうか?それが本来の野生の生物として普通のことなのか、それとも女性の地位が低いことからくる決めつけなのか。

これまでの黒澤映画とは一味違う。後世への影響も含めてこれからも語り継がれるべき作品。
アーリー

アーリー