まつむらはるか

羅生門のまつむらはるかのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

「人間ってやつは、自分に都合の悪いことを忘れてやがる。都合のいい嘘を本当だと思ってやがる。そのほうが楽だからな」


人間のエゴを描く『羅生門』と『藪の中』両作品がとても自然にまとめられている印象を受けました。
私は近年の作品でメディア操作・メディアリテラシーを扱った映画やミスリーディングの技法を扱った作品を観て「今っぽい!!!」と思っていた節があります。
しかし、1950年にこの映画が作られるもっと前、芥川龍之介の原作ですでに完成されていたのか!!!ということ、情報化が進んだ現代においてそれがさらに浮き彫りにされているだけで、テーマ自体は普遍的なものなのだということを思い知り衝撃を受けました。

杣売りの証言のシーンで女が大笑いして男2人を戦わせたり、決闘も地を這い土まみれになりながら転げ回る泥試合だったりして、エゴと欲むき出しの人間の本性の現れ方の演出が非常に良かったです。(泣いていると思いきや笑っている、という展開が好きすぎる・・・!)


そして「人のことを信じられなくなった」と言う杣売りも下人によって醜さを暴かれてしまうというところに、『おい、そこで傍観者面しているお前もそうなんじゃないか?』と観客のこちらに問うてくるような構造を感じました。
自分は杣売りのように「人の醜さ、自分の弱さを認めながらも償おうとする」ことができるのか。それとも、原作の下人のように「悪事を正当化して行う人を見て、自分も悪事を働く勇気を出す」側の人間だろうか・・・