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サスペリアのfumingのレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
4.0
奇才ダリオアルジェントが1977年に放った怪作を堂々リメイクした本作。
サスペリアといえばホラー映画ファンにとっては聖典ともいうべきの強烈な存在感を持つ作品であり、その評価に恥じることなく、かつて一世を風靡した。

そんな本作は端的に言って、リメイクとは名ばかりのものである。さしずめオマージュ作品、もしくは2次創作なんて言っても過言では無いのかもしれない。
なぜならば、リメイク作品と銘打たれた本作は原作と比べてみると、おおよそあらすじくらいしか共通点が無い。
しかし、故に本作はただのリメイク作品ではない。

ホラー映画におけるリメイク作品の失敗要素は、大抵の場合最新の映像美を全面に押し出そうとしたが故に、原作版が持ち合わせていた雰囲気や脚本の妙といった部分が損なわれてしまうためだろう。特にスプラッターなゴア表現を強調しているものはとりわけその罠に陥り易い。実際問題、画質が悪くても恐ろしく感じるものは数多く、鮮明さが恐怖を煽るわけでは無い。ホラーにおける重要な要素は、雰囲気や脚本、またそれらを踏まえた上の絵作りといった要素を内包した「世界観」であると思う。特にサスペリアのようなオカルト、悪魔系ホラーのジャンルは特にそれが重要であり、近年オカルト系のホラーの傑作が少ないのはそういった部分を上手に生み出すのがいかに難しいかを物語っているように感じる。
たが、そういう意味では本作は非常に設定、その「世界観」が秀逸な作品であった。

まず、リメイク版本作は原作と雰囲気が一気に異なる。まるで御伽の国に迷う混むかのような導入に加え、極彩色に美術に彩られた原作は、さしずめ夢遊病的な悪夢的世界観を表現していた。対して本作は実際の歴史事情や社会情勢を大きな世界背景として物語が進んでゆく。キーワードとなる魔女にしても、原作はオカルト的な雰囲気作りの象徴的に用いられたことに対し、本作は魔女というものの存在、またその役割が随分と変わっている。ファンタジーさが売りの原作版に対し、リメイク版は一転したリアルさでサスペリアを構築している。細かいところを見てもドイツが舞台なのに登場人物達が全然ドイツ語を話さないことや女性ばかりのバレー学校に妙に数人男性がいて雰囲気が今一つ固まっていないなど、原作に持っていたちょっとした不満点も解消されている。
加えて、特に上記2つの部分は本作を観る上で非常に面白い点である。舞台となる当時のドイツは抑圧された社会で、さらにダンス学校もどこか薄気味悪さの漂う閉塞感に満ちている。そして、主人公をはじめとした登場人物達が各々の抑圧された境遇の中でどのような結末を迎えるのか、とお化け屋敷に迷い込んだような感覚に陥らせる原作版と比較して非常に重厚な世界観とテーマ性を持っている。また、魔女という存在についても本作はただのファンタジーなファクトとして登場させることはなく、序盤から多種多様な「魔女」の姿を見せることで「魔女観・魔女論」のようなものに一歩深く踏み込んでいるとも言えるだろう。特に本作における魔女とは「自立した女性」なのではないかと思う。男にも、社会にも、世俗にも迎合することなく、母にも妻にも娘にもならない。途中まで姿を見せる魔女たちにはそんな印象を受けた。それ故に「母は何者の代わりにもなれるが、何物も母の代わりにはなれない」というメッセージとクライマックスシーンにより深い意味を感じた。

総評として、本作はホラー映画であるがただのホラー映画ではない。視覚的なアート作品だった原作版に比べて、こちらは何とも文学、神学、哲学的なな香りが持ち味のアーティスティックさがある。
重くておぞましく、不気味な雰囲気が常に蔓延っていて、さらに猟奇的なシーンがあるのにもかかわらず、試聴後はどこか心休まるような奇妙な気分に陥った。例えるならば、清廉で敬虔な聖書的な世界を覗いたような感覚だろうか。もしくは深淵のような哲学的世界に触れて、その真理を悟ったような心持ちというか。さしずめ本作は「恐怖映画」というより「畏怖映画」といったほうが相応しいか。
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