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ハナ肇の一発大冒険のotomisanのレビュー・感想・評価

ハナ肇の一発大冒険(1968年製作の映画)
3.6
 思いつく限り、あらゆるネタと雰囲気を撮り揃えましたという感じだが、さすがに地に足の着いた塩梅で、宇宙人に怪獣、スパイも黒い霧も化け物も出てこない。しかし、ダイヤ何百億だの、ハワイを差し置いてサントロペだの、猟銃強盗の立て籠もりだのと、ちょっとヤバ気に見上げるくらいの感じのネタも揃えたようだが、ダイヤなら金銀パールのブルーダイヤだし、サントロペならルイ・ド・フュネス、猟銃事件は金嬉老といった具合か。まんざら雲の彼方でもないようだ。

 これが'68年、庶民生活のスピンオフ風景。集金帰りの土曜日でふところ暖ったか、しかもマイカー(商用)付きというワンマン(社長)父ちゃんの美女と手に手を取っての爆走という恐いものなし。
 あるいはこのシチュエーションが見る人にちょっと羨ましい気にさせる、もしそうなったらサブリミナル効果で消費意欲がチョイ増しという仕掛けかも知れない。くわばらくわばら。

 しかし、これが面白いかというと盛り上げては足ん掛けの連続、念の入った芝居があるじゃなし。そこが過密バラエティでとりあえず飽きさせないで90分という要求事項達成映画という事なんだろう。だからあまり気合を入れてみるとアラとフン詰まりの連続のおかげで途端に面白くなくなる。だから、あ、富士山だ。とか、なんで砂金採りしてる?ぐらいにネコでもおもちゃにしながら見るのが一番だ。
 ただ、それでもさすがに伏木の港で社長が女を見送る景色で、それまでの筋がさっぱり繋がらなくても、フム、結論だけはよーく分かるという。ハナ肇がモテてたまるかというケジメが付いてるのがいいわけだ。
 もっとも、この映画の喜劇らしいところは、そこまでの85分の内には無くて、そのケジメのあとのエール・フランスで社長がスッキリ・サバサバ、カウンセリングを終えるシーンでも無くて、その何か月のちの、あの日のレストランの土曜の午後のいい年増との差し向かいにあるのは気付かないといけないところだ。
 おそらく当時も、真ん中は高いびきで過ごしても始めと終わりのこの場面を見れば、千恵子から美津子にグレードアップしやがったなぁ、やりやがったじゃねーかコノヤローと血圧をチョイと上げて残りの集金だかセールスだかにマキが入るというのがその時代の流れだったのだろう。つまりよく作っているのである。

 そして、このよく作ったところがこのシリーズの命取りでもある。ハハッ馬鹿にしてやがるといって見終えるこの映画が気晴らしウサ晴らし以上のものでなく、吶喊ハナ社長をタコ踊り社長にする寅次郎噺にとって代わられるのも、あのバカ、が、あぁばかだなぁとどこか胸に沁みるような渡世人模様がよくて、乱暴で馬鹿正直で気っ風もいい潔癖スケベな田舎者は、情緒において、みやこの場末で帝釈天の産湯を使ったちょいと気取ったふりな人間の複雑な心には及ばないという事である。
 ハナ肇の結局、紆余曲折があっても目的を完遂したあたり、いかにも企業人、社会人の誇り、一家の大黒柱的であって男一匹一人前性を少しも歪めない事の窮屈さに、へいへい調子がよござんすと受け流される素地が揃いも揃っているわけだ。面白くないとはそんな丸くも無いが角も立たず、ともかく納まるこの話を作った監督当人の心境であるのかもしれない。だからこそ命が続かないのである。
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