いやーこれは面白かったです。
例によって聖書からのメタファをあちこちに散りばめているんですけど…そこら辺が分からないと物語を本質を理解できない…ってことはサラサラないです。
ラース・フォン・トリアー同様、そんなモノはハッタリみたいなもので、いつもの裡なるギラギラしたエモーションをフィルムという名のキャンバスに叩きつけています。
宗教的見立ては、黒い“不条理劇”としてプロットにツイストを効かせており、楽しいエンタテインメントに仕上げるための、引用として機能しております。
そこら辺はルイス・ブニュエルの影響が大きいと思います。
テーマとしては人間が果てなき創造性を発露していく過程は狂気そのもの、ということ。
これは、ダーレン・アロノフスキーが一貫して扱ってきたもので、心情吐露とも捉えられます。
今回ハヴィエル・バルデム演じる“詩人”は、詩作する上で1作品につき、インスプレイション得るためのトリガーとしての“ミューズ”をそれぞれ1人…娶っているんです。
プロローグ…火事の災厄に遭って火傷を負った女性は、ラストの…全く同じアングルで撮られた、火傷を負った女性(ジェニファー・ローレンス)とは別の人です。
そしてこの…カタストロフィのあとのシークエンスは、冒頭と結末が全く同じです。
焼け落ちた家が再構築され、元に戻った家の寝室のベッドから女性が目を覚まして、“詩人"(カメラ)に向かって微笑みの言葉をかけます。
この女性も、冒頭の女性でも、ジェニファー・ローレンスでもないんですね。
一見するとループ構造の体をなしているかのような演出ですが、よく見るとそうじゃなくて時間が一方向に進んでいるのが分かるんです。
創造性を喚起するためのミューズ。
….使い捨てのミューズたち。
アーチストって種族はロクデナシってことがよーく分かる作品です。