140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ハウス・ジャック・ビルトの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ハウス・ジャック・ビルト(2018年製作の映画)
4.4
【ベストアルバム】

ヒトラー擁護発言で、カンヌから締め出された奇才ラース・フォン・トリアーの最新作。「HOUSE THAT JACK BUILT」。これは何なのか?

これはアーティストの晩年に発表したベストアルバムを批評家のインタビューされながら語っている映画のように感じられる。冒頭は真っ暗闇に会話だけが聴こえる。何の問答なのか?主人公のジャックは、自身の連続殺人の中である5つのエピソードを放し始める。つまり彼の殺人(アーティスト活動)60曲以上の中からアーティストの彼自身が選ぶ名盤5選を答えているように思えてくる。

「ジャックの選ぶベスト殺人5選!!」
①「衝動」→デビュー作
②「苦悩」→ブレイクへの転換
③「信念の貫徹」→ブレイク後
④「快楽」→遊びと余裕
⑤「実験」→晩年期
自身の作品に対してインタビューに答えてたら批評家に「地獄に堕ちろクソ野郎!!」とキレられてしまいましたとさ…的な映画である。(もはや映画と言えるのか?)

主人公ジャックは語られる5つの物語で、自身の殺人=アーティスト活動の中で自身に影響を与えた5作品を嬉々として語りながらも姿の見えない男と問答になっている。終盤明かされるが、その男はヴァージルというのが彼のイマジナリーフレンズであろうと分かりクライマックスはダンテの「神曲」の地獄篇を模した世界へと解き放たれてしまうというぶっ飛んだ結末を迎える。ネタバレをしてしまったが(笑)、むしろ構造以上に剥き出しになった精神性がヤバいと途中で気づかされる仕様になっている。紛れもなく主人公はラース・フォン・トリアー自身であり、トリアー自身の頭の中の天使と悪魔の問答とそして名盤殺人映像を振り返っているというラース・フォン・トリアーという男自身の映画の営みのベストアルバムとなっている。

①「衝動」→デビュー作
冒頭の助けを求める女がウザいです。酷いこと言われます。これはワンチャン殺しても良くね?ってとこまで行きます。衝動的殺人に近いです。
②「苦悩」→ブレイクへの転換
ここはコメディ的殺人です。主人公の強迫性神経症により殺人現場の血痕やら何やらが気になって気になって何度も事件現場を行ったり来たりする姿た殺人への恐怖のようなモノも垣間見えます。しかし警察に疑われながら逃走したそのあと、とんでもない幸運が舞い込みます。
③「信念の貫徹」→ブレイク後
超絶胸クソ!狩りの鉄則を絵で見せた後に本当に実行するというアーティスト化が進んでいます。強迫性神経症は前記の幸運の後に晴れていったように思えます。
④「快楽」→遊びと余裕
ライリー・キーオのおっぱいにばかり目が行きます。むしろここからは自称ヒットアーティストですから、殺しにも遊びや快楽性という余裕ができます。ある体の部位で作る財布は必見!!
⑤「実験」→晩年期
アーティスト的な実験性が出てきてます。拘りが強く周囲にも剥き出しになり、警察を呼ばれ追い詰められますが、作品の実行を大事にする信念の凝り固まり?老害化してないか?と思えてきます。

このジャックの作品群が、ラース・フォン・トリアーの人生において語っているものであろうというのが、回想シーンの中でラース・フォン・トリアーの作品自体が使用されていることがわかるというのが寒気がする。前半に語られるゴシック建設への構造上の機微から、少年時代の草刈りへの憧れ、終盤が近づくとナチスドイツに関わる建築物の廃墟的美学や急降下爆撃機であるストゥーカの音についての賞賛が行われる。ここで映画評論家の町山氏の解説で宮崎駿の「風立ちぬ」とそっくりであるという考察に、「これは納得、そっくりじゃねーか!」と目からウロコ。主人公のジャック=監督ラース・ファン・トリアーの回想録を作品=殺人行為として描いてしまった恐ろしさ、うすら寒さ、そしてホンモノの危険性を彼のフィルモグラフィから感じられる不可思議さを解答として観客の前に叩き付けたような衝撃作。賛否両論を巻き起こした剥き出しの映画、いや伝記、いや人生の展示会のような本作は代替性がない。「私の人生は悲劇か?いや、喜劇だ。」と、今秋に公開されるトッド・フィリップス監督の「ジョーカー」の前に、リアルなジョーカーを業界に“ぶっこんで”しまった笑ってほしいだろうが全く笑えない“深い”かつ“不快”な物語だった。エンドロールを飾るのがあの曲だったのが唯一シンプルなコメディだった。