大道幸之丞

ハウス・ジャック・ビルトの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

ハウス・ジャック・ビルト(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

原題は“The House That Jack Built(ジャックの建てた家)”であり、内容は原題の答えにもなるので、そのままの方が良かったと思う。

ラース・フォン・トリアー監督は今や毎回神に挑む行為を平気になっている。そして人間の本質・本能、時に皮肉な運命の巡り合わせを容赦なく描ききっている。

1970年〜1980年代にワシントンを中心殺人を重ねた実在のシリアルキラー(テッド・バンディ?)を下敷きにした脚本。映画の設定では強迫性障害とサイコパスの建築家をマット・ディロンが演じている。建築家でもあって金に困っていないし男前なので女性は惹かれるだろう。殺した遺体は片っ端から自分の真っ赤なバンで運び、借りている大型冷凍庫へ放り込まれる。

「女子供ばかり殺している」と言い出す人もいるだろうが、ドラマ性を創るには男性より女性の方が「画(え)」になるのだ。

感じた事としてまず被害者のキャスティングがいい「こういう人が殺される」と思わせる配役が秀逸だ。知り合ったキッカケなどは全てすっとばしているので155分ではあるがテンポがいい。

理知的な女性もそれが故に殺されるし、ジャックに経済的安定性とルックスで惹かれるシングルマザーや独身女性も「幸せに急く故に」第六感が鈍りやはり殺されてしまう。気付いた時にはもはや手遅れ。

そして殺し続ける事が本人にとっては哲学性を帯びた創造でもあり自身を深めている事をウェルギへ説きあたかも「ノウハウ」のように解説の絵も出てくるのがどこかユーモラスだ。

そのくせ肝心な新居は湖の畔に土地を買い殺人を重ねながら造っては壊しを幾度も繰り返しうまくいかない。

頻繁に挿入されるデビッド・ボウイの“Fame”には歌詞からしてさして深い意味もなく「奇跡の海」や「ドッグヴィル」でもお馴染で「俺はボウイが好き」程度の動機と思う。

むしろ神経質に鼻歌交じりに背を丸め狂おしく打鍵し続けるグレン・グールドの姿が柱になっており、これは「異形礼賛」の映画である事を否が応でも知らされる。

何かに導かれるように巡り会い殺人を重ねるジャックはともかく「完遂」に迫られる。写真も完璧にとこだわる。そしてシリアルキラーにありがちな、どこかで殺人行為を安全に公開したい思いに駆られる。

肝心な新居はまるで完成しない。しかしやがて思わぬ場面で“理想の家”は完成されるのであった。

そんなジャックが盗んだパトカーのサイレンを鳴らしたまま“フルメタル・ジャケット弾”の実験に急いて、それが原因で警察に踏み込まれるものの、ウェルギの手引で逃走するがここではダンテの【神曲】〜「地獄編」〜にゆだねて物語は終焉に向かう。

殺す側も殺される側も因果なものでこれも結局「縁」なのだ。殺人鬼は「悪意」ではなく生まれつきの「異型」サイコパスである事もある。殺される側は「被害者」ではあるがこの映画では「自分から殺されに向かっている」とさえ思ってしまうのだ。「ラース・フォン・トリアーにハズレ無し」で楽しませてもらった。