すずきじみい

ピザ!のすずきじみいのネタバレレビュー・内容・結末

ピザ!(2014年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

監督、脚本: M•マニカンダン


南インドのチェンナイにあるスラム街。
そのスラム街のコンクリート床の掘っ立て小屋に住んでる兄弟が、町に初めて開店したピザ店を見て、どうしても(彼らにとっては高額な)ピザを食べてみたい、と奔走する話。

兄弟の住む掘っ立て小屋には住所もない、
又、兄弟は靴もなく、外も、何か踏んだら
足の裏を怪我しそうなとこでも、どこでも裸足で歩いてる。

母と祖母と自分達の生活費の一部を稼ぐ為に、毎日、石炭拾いをしてるので、学校にも行けない。

そんな子ども達と、マンションに住んで、普通にピザを頼める家の子どもの両方が出てくる。

で、スラム街の兄弟がその中流家庭の男の子と知り合いで、その男の子の住むマンションの前で、会うと立ち話をするんだけど、兄弟とその男の子の間には常に鉄格子がある。

このすざまじい貧富の二極化した国に住むってどういう気持ちなんだろう?
と、まず考えてしまう。

もし、自分が極貧側に生まれたら、人生捨てた気持ちで、毎日虚しく、神様を恨んで生きてそうだし、生活に不自由しないレベルの家庭に生まれても、自分の身近にあるすざまじい不公平を、毎日目撃してると、下手すると、精神を病んでしまうんじゃないだろうか?と思った。

ただ、この社会派コメディは、そういう貧富の差ゆえに起きる珍騒動が描かれているので、当初感じた鎮痛は、次第に薄まっていく。

私が、この作品、尊敬するなぁと唸ったのは、

ラスト、スったもんだの末、兄弟が最高の環境で、優雅にピザを食べられる事になり、夢が叶ったのに、食べてみると、ピザは、
「あまり美味しくない」
「ネバネバしてる」
「ドーサ(南インドのクレープ)の方がいい!」
と、兄弟が、がっかりする所。

手に入らないから恋焦がれ、夢にみるけど、手中にした途端、本当に欲しい物じゃなかったと気づく。
哲学的な真理をコメディの最後のメッセージとしてすえてるところ。

私も、全く同じ経験がある。

熱帯魚が大好きで、耳抜きの大変さをどうにか克服して、オープンウォーターのダイビング免許を取ったけど、実際、やろうとしたら、耳抜きが出来なくて、辛くてダイビングができない期間が30年間あり、その間、シュノーケルしながら、普通にダイビングできる人々を羨望の目で見ていた。
耳抜きが楽になる耳栓が発売されて、ようやく夢だったダイビングができた後、ダイビング熱が嘘の様に冷めてしまった。

手に入れた途端、今までの熱が冷めてしまう心理は、
貧者、金持ち、普通の人、全ての人間に普遍的で、平等な気持ちだと思う。

途中で、一度、兄弟達がとうとう自分達で貯めたピザ代300ルピーを持ち、服も差別されないように綺麗な服を着て、ピザ店へ行き、やっと夢を叶えられると思ったのに、スラム街の子どもだと、店の警備員と店長にばれてるので、店に入れてもらえず、ビンタされて追い払われた事で、兄が人生の不条理をはっきりと悟る場面や、

ピザ店、店長による兄弟への暴行シーンを撮った動画で、ピザ店を脅迫して大金をせしめようとしたスラム街の男達が、仲間を騙して自分だけより大金を得ようと、欲をかいたばっかりに大尊するところとか、

人生が凝縮されてて、ただ笑って終わりじゃない、隠れた深みがいっぱいのコメディだった。

インド映画のミュージカル仕立てな演出が大の苦手なので、踊りなんてない自然な展開も好物でした。

インドには、児童映画というジャンルがあって、この世情を強く反映した、大人向けのクオリティのコメディも、児童映画としてカテゴライズされてるそうです。