三四郎

ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男の三四郎のレビュー・感想・評価

1.5
これは実に考えさせられる映画だ…。この映画はイギリス国民のための映画であり「勝者」の映画だ。イギリス人が見るならいい、そしてイギリス人が高評価するのはまあまあ良いとしよう。
しかし、これに対して我々日本人の観客が高評価しているのは肯けない。タイトルも邦訳だとチャーチルをヒーロー視しすぎている。勝ったから良かったものの、これで負けていたら彼は大きな過ちを犯したことになり、国民を火の海へと導いた男として未来永劫「大罪人」となっていただろう。現代の価値観で作っている、哀しいかな歴史映画、伝記映画などそういうものなのだが…。

もし日本映画でこのような時代の映画を作るとしたら、「それでも戦争に反対した男」と平和主義を掲げ貫いた男がヒーローとして描かれるだろう。チャーチルはある意味「危険な男」だったように思う。ハリファックス伯爵とチェンバレンは宥和外交で確かにヒットラーとムッソリーニを勢いづけ「侵略」の手助けをしたような形になった。弱腰とも言える。
しかし彼らはあくまで「戦争」を避けたかったのだろう。第一次世界大戦の記憶があったからこそ「自国の平和な暮らし」を維持したかったのだろう。彼ら二人は理想主義者で夢見がちのように悪く描かれており、私も「甘いんだよ」と思いながら見ていたが、彼らの気持ちはよくわかる。チャーチルも含め両方の意見はよくわかる。
チャーチルが国民へ向けた「事実ではない演説」、「勇気が湧いてくる演説」をしたかったのは頷けるが、一歩間違えば、いや敗戦国になっていれば「大本営発表」と同じだ。「楽観主義と希望」は気に入ったが。
「同じ敗北でも勇敢に最後まで戦った国は起き上がれるが、戦わなかった国は立ち上がれない」といった科白が出てきたが、これは美しすぎるのだ。戦時中の日本の思想と全く同じだ。美しすぎると危険なのだ。

地下鉄シーンはどう考えても作り話に思えるがどうなのだろう。階級社会のイギリスについて描いている一方で、やりすぎとも言える。黒人が暗記しているわけないだろう。黒人をクローズアップしすぎている。
国民の意見を聞くのが民主主義でありイギリスですと誇らしく描いているのだろうが、階級社会で一般市民の教養の低いイギリスで、かつ煽動的新聞でしか情報を得ることがないこの国民に意見を聞き、“NEVER”を繰り返させ「俺たちは何があっても最後まで戦い抜くんだ」というあたり…恐ろしさを感じた。

戦勝国だからこそこのようなナショナリズム的なものを臆面もなく堂々と描けるのだ。国民あってのイギリスはわかるが「国民の意見を聞く」これは浅はかだ。あゝ、哀しいかな、こう書いてしまうと民主主義を否定することになってしまうのだが…!

もし戦前の日本で国民の意見を聞いたら「アメリカとの戦争反対」だったのではないか。ナチスとアメリカを比べることはできないが。ただ…国民が「最後まで戦い抜く」と心から言えるのは…戦争の恐ろしさを知らないからだろう。
こんな映画を堂々と製作できるイギリスは平和ボケしすぎている。「EU離脱は正しかった、なぜなら民主主義的に国民の意見を聞いたから、あの時代も今も我々は正義で常に正しい」と言っているように見える。

車に乗っているチャーチルには、道を渡る三人の子供たちがヒットラーの顔に見えた。これは、ここで戦わなければ子供たちの未来はない、子供たちのために、国を守るために戦わなければ!ということの暗示だったのだろう。将軍が戦況の映像を見せながら報告する場面で顔の影だけ映っているがその横顔がわし鼻でユダヤ人のように見えたのは私だけかしら。ヒットラーの横顔にも似ていたので、ヒットラーの悪魔的な感じを演出しているのか?

議会におけるラストシーンのチャーチル演説。「海の向こうの我が帝国が助けに来る」といった科白があった。おそらく当時のものをそのまま引用しているのであろうが、ゾクっとした。ユニオンジャックが国旗に描かれている国々、そしてカナダ、アメリカ、植民地が頭に浮かび、なにゆえこの映画を作ったのか、なにゆえ現代にこの映画を製作したのかと疑問に思った。製作者の意図がわからない。帝国主義へのノスタルジーか?これで大喝采で終わっていくのは恐ろしい。私はこの映画を人に勧めることはできない。
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