空きっ腹に酒

誰がための日々の空きっ腹に酒のレビュー・感想・評価

誰がための日々(2016年製作の映画)
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父は家族のためにと唯一出来る仕事で稼ごうと家に帰らなくなり、長男は留学先に行ったまま、病に冒された母は愚痴を吐くばかり、唯一そばにいた次男もまた、いつからか心に闇を抱えていた。
みんな自分の人生を生きていただけだと思う。家に帰らなかった本当の理由、稼ぐというのは父なりの誠意。施設に丸投げにするでもなく、次男は仕事を辞めてまで母親の世話をしようとしたこと、これだって正義感や責任感から生まれてくる誠意だと思う。施設に預ければ?と婚約者のした提案だって、彼を思うがゆえの優しさだし誠意だと思う。
何が正解か?って、たぶんどれも正解でしょう。愚痴をこぼす嫁と息子たちのもとに帰るという選択も、施設に母を預けるという選択も、息子を再入院させるという選択も、ふたりの家を売ってしまうという選択も、彼らが選ばなかった選択肢だって正解なんだ。
もしかしたら選ばなかった道に進んでいたら、彼らはもっとずっと幸せだったかもしれない。
でも選ぶなり、分からないまま流れついて、たどり着いたそこは、紛れもなく自分自身の生きてきた結果だ。残された少ない選択肢の中から選んだもので、じゃあどうやっていきましょう、ってなった今、見捨てることだって出来たはずなのに、本当は赦せないけど赦したい。寄り添って生きていきたい。って、すごく血の通った人間の歩むべき道だなあと、わたしは人間であることにやっぱり希望を捨てきれなくて、どうしようもなく泣けた。
狂ってるのは世界かもしれないし、自分自身かもしれない。ものの見方や切り取り方次第でそれはどうとでも変わる。ただみんなちょっとずつみんなと違う、からだの病気を持ってるあなたとおんなじで、心や脳の病気をもつ彼だって一緒じゃない??って、とてもよく分かる感覚。みんな少しずつ不完全だ。
普段は会話を交わしたりする間柄でも、ひとから好奇の的になるような行動をしているひとに、大丈夫ですか?どうかしましたか?何か手伝えることはありますか?って言える勇気は持ち続けていたい。自分の世界は安全でいて欲しいからと、排除しようとするあの彼らだって、ただただ自分たちの人生を生きようとしてるだけなんだよね。でもやっぱり相手に寄り添える少しの優しさは持ち合わせていないのは寂しいことだと思うのよ。
終盤で、枯れてしまった植物に関して少年とした会話がとても沁みた。合わない場所や環境なら良くすればいい、ここが生き苦しい場所なら、良くすればいい、変えればいい。別のどこかで生きてみればいいんだよ、って届けてくれたメッセージのようで、彼の立場になってみたら、なんだか少し心が軽くなれた気がした。
ひとを不幸にさせるのも、幸せにするのも、どちらもひとだ。その狭間でわたしたちは揺れ動かされては生き続けてくんだ、この少し狂った世界を。

(マリさんのレビューを拝見して鑑賞しました。教えていただきありがとう。)
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