謎は解かれず、事態は収まらず、愛は叶わない。
シンプルな遺産の争奪劇のように始まった物語は、カタルシスやクライマックスといった終点を徹底して忌避するかのごとく展開する。その堂々巡りの様こそ、タイトルの『メリーゴーラウンド』なのか。
色男・ベン(J・ダレッサンドロ)と、姿を消した彼の恋人・リサ(D・ジェゴフ)、代わりに現れた彼女の妹・レオ(M・シュナイダー)。
彼らは、住所・暗証番号・電話といった、まさにサスペンスらしいアイテムに振り回されてパリや田園地帯をさまようのだけれど、まるで本当は誰ひとりその在処や意味を知らないようだ。誰がどれを知っていて、いま何を探しているのか?段々と曖昧になり、尻尾を掴めそうになっては消えていく。
映画は、大きく分けて3つのラインが並行・独立しながら進む。
①メインの物語、
②森や浜辺で戦うベンと女、
③音楽を演奏する男たち。
②の女は、リサにもレオにも似ていながら別の女に見える。しかし、実はレオであるらしく、演じるシュナイダーの体調の影響で代打の役者がやってるとのこと…って、おいおいおいなんじゃそら。名札つけといてくれ。
というわけで、②はレオ(かベン)の見る夢のように思えるのだけれど、実は①のほうが夢なんだと考えたって良い。
③はバスクラリネットと五弦コントラバスの渋すぎデュオで、思わぬところで低音フェティシズムを満たされたわたしはすこぶる機嫌が良い。
さておき、彼らは①②どこでもない場所にいて黙々とfeel like ZENなセッションを続け、それは劇伴となって響く。
劇伴に思えた音楽をほんとに演奏する人がいました〜の手法は、『デュエル』『ノロワ』といったリヴェット作品でしばしば見られたもの。しかし今作では、ある意味でその逆転ともいえる事象が起こっていることに気づく。
既に、映像に付けられる音楽、という主従関係すらあやふやだからだ。何せ、この映画が始まってまず映るのは③の様子なのだ。
もしかして、主客はこの音楽であって、①も②も添え物なのでは?そんな想像に視界が心地よく揺れる。