強い衝撃を受ける。そして、とても変な映画だ。原作も変。一人称で五視点で描かれるスタイルは、ほとんどない。
突然、とてつもない展開を見せられ、強烈な余韻を残してくる。万人受けはしないだろうが、僕はとても好きです。藤原竜也もそこまで叫んでいないのもよし。
年代を感じさせる。それも逆にいい。携帯、ビデオ、役者の演技といい当時の質感がすごく伝わる映像だった。
<パレードとは?>
踊っていれば、笑っていれば、オッケー。明るく、煌びやかパレードを止めることを許されない。いわば同調圧力のことだ。
肝心なところは聞かない。見て見ぬふり。気づいているけど言わない。知っていても、わかっていても、気づいていても、黙っている。
→これは、日本人の本質を表している気がする。
関わるのが面倒。
関わるのが怖い。
関わると危害があるかも。
偽善者だと思われることが恥ずかしい。
周りの目を気にする。
<ストーリー>
家(内)は、みんなと普段通りの日常を続けることが、最優先事項になっている。変わらぬ毎日を過ごすこと。ルーティンは安心感を生む。表面上は明るい自分をみせて、裏の暗い自分はみせない。
だが、外部(世界)の介入によって、パレードに異変が起こり始める。
ーーーーーネタバレーーーーー
<本筋>
ヤバい顔があった。
でも、みんなそれに気づいていた。
<隠したいクセや趣向>
性的、暴行、狂気を隠している。
みんなに言うと、パレードが止まってしまうから。
<サトル視点>
サトル=外部からの刺激、家に変化をもたらす存在
外から見ると、家の人間模様がまともじゃないけど、面白い。
「まともじゃない」
→自分にもそういう部分がある可能性。まともじゃないと見ている奴が、まともじゃない。現にサトルは男に身体を売って生活している。家もない。家に忍び込んで自慰行為を行う。
<ナオキ視点>
ナオキは完璧にみえる。社会に合わせられる。英語喋れる。健康オタク。一番、人間的部分が見えてこない存在。
でも、虫歯になる
→甘いもの(世界)による攻撃されたことのメタファー。
会社でもパレード。家でもパレード。パレードが止まらない。息抜きができない。だからガタがくる。ナオキは壊れていた。
ナオキはサトルを追うが、逆にサトルもナオキを追う。どちらもヤバい部分に気づく。
<未来視点>
幼少期のトラウマ(父が母を暴行)→レイプシーンを見ると落ち着く
トラウマを部外者のサトルには話せる。深刻な問題は身内には言いずらいもの。
未来のレイプビデオがサトルに書き換えられる→最初は怒るが、後にスッキリする。これは外部からの変革によるもの。
<良介視点>
良介の友人の死
→家では、パレード維持のため軽く流す
→代わりに外で泣く
パレードではない自分の感情をオープンにできる人や場所を持っておくことが大切。
<琴美視点>
琴美は孤独。
家に入る前に、スキップして明るい自分を準備する。
<好きなセリフ>
・「言いたい放題やりたい放題なく、ぶちまけるところじゃなくて、善意に満ちたサイト。嫌なら出て行くしかないし、いたければ笑ってればいい」
ー琴美
上部だけの付き合い。本音でぶつかるとウザくなる。
→隠れて、変化するもの
→みんなにバレるのが怖い
→パレードが止まる/出る杭は打たれる
・「みんなが知ってるサトルなんて存在しないんだよ」
ーナオキ
みんなが知っている人なんて存在しない。それぞれの人がいる。色眼鏡で見ている。自分のみたいように見る。
・「あなたは変化を求めて世界と戦っている。抜け出しても、一回り大きな世界でしかない。あなたと世界との戦いでは、世界の方が優勢」
ー占い師
ナオキは世界と戦いながらも、結局負けて、家に戻る。
・「もうみんな知ってるんじゃない?」→無音からの雷
「なんで、知ってて黙ってんだよ?」
「よくわかんないよ。お互いそのことについてちゃんと話したわけじゃないから。みんな言わないし、だから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだよ!」
ーサトルとナオキ
パレードで踊って回ってれば大丈夫→世界に負けるサトル
<天気の子との共通点>
「天気の子」は自己優先の映画。
コドモ(自己)のままでいい、オトナ(世界)にならなくていい。世界なんてどうだっていい。世界(日本)を沈めて、ヒナ(愛するひと)を取り戻す。そして、世界が狂っていても、自分たちなら大丈夫!と、自己完結して終わる賛否両論映画だ。
「パレード」では、一番世界に合わせていたナオキが、ぶっ壊れていたというもの。世界に合わすことが、壊れる原因となる。
世界と合わせていた男の、成りの果てが描かれている。
教訓としては、自己優先できる場所を持っておくことが大事ということかな。自分を出せる場所。自分を優先できる生き方。そういう素を出せる人と出会えることが大切なのかもしれない。
奇しくも「天気の子」も「パレード」も、ラストで大丈夫というセリフが使われる。
「天気の子」は、世界をぶっ壊し、自らが作り出した世界で生きていくことを決心し、「大丈夫だ!」と言う。これは史上稀に見る爽快感溢れるラストだと思っている。
一方、「パレード」は、世界に負けて呑まれていく。「何が、大丈夫なんだよ!」と言いながらも、ナオキはパレードを続ける道を選ぶであろう。これからもパレードからは逃れられない。