QTaka

わたしが発芽する日のQTakaのレビュー・感想・評価

わたしが発芽する日(2016年製作の映画)
3.2
自分は何処に居るのか。
誰と共に在るのか。
大切な人とは誰か。
自分の現在地を確認することは難しい。
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人と人の関係は、恒星と惑星のように、一方を中心に回っている。
その関係は絶えず変化し、時に立場を入れ替えて、惑星になり、恒星になる。
ただ、この物語の優子は、いつも中心で輝いている。
みんなの真ん中で、照らし続けている。
そのことに気付いた時、その存在が明らかになる。
大切な人とは誰か。
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この物語では、”普通”が問われる。
ある意味において、”普通”は”障害”の対義語とされるが、それはきわめて狭義だと思う。
”障害”とは、個に備わるものでは無く、個の置かれた環境の状態を意味するものだと思う。
その場の環境次第で、誰もが自由を奪われる事が起こる。
言葉が通じない海外へ一人降り立てば、その瞬間から”障害”が立ちはだかる。
ケガをして、いつも通りの動きが取れなければ、治るまでは”障害”を伴う生活になる。
ただ、その時に、周囲が手を差し伸べられれば、その”障害”が軽減され、あるいは無くなる。受け入れ可能な”普通”になる。
”普通”とは、この環境の状態である”障害”を確定し、固定化する言葉かもしれない。
それは、”かく在るべし”という壁であり、凶器でもある。
”普通”とは、残酷な言葉なのかもしれない。
本当は、誰も”普通’”じゃないのに。
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物語の中で、堀春菜さんが演じる”優子”は、姉やその婚約者、父親に見守られている。
でも、それは一方的な愛情では無く、”優子”からのもらっている数知れない力と呼応しているのだと思う。
彼女の存在が、彼らにとって必要な事が見えてくる。
そして、父の住む田舎から帰ってきた”優子”の笑顔だ。
この輝く笑顔が、大切な人の証だったと思う。
堀春菜さんの笑顔は、本当に最高ですね。
そして、これは堀さんの俳優としての武器でも有りますね。
人を照らすような笑顔は、他になかなか有りません。
そして、この映画の”優子”は、まさにこの笑顔を持った存在でした。
笑顔を演じるというのは、もしかするととても難しいことなのかもしれないね。
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