カタパルトスープレックス

ティタシュという名の河のカタパルトスープレックスのレビュー・感想・評価

ティタシュという名の河(1973年製作の映画)
2.8
白黒作品ですが、1973年公開のベンガル映画です。この映画を作ったリッティク・ゴトク監督は公開3年後の1976年にお亡くなりになっています。活動期間は長いのですが、作った長編映画は8本だけです。日本で公開されたのは『雲のかげ星宿る』(1973年)だけ。今回観た『ティタシュという名の河』はあまり有名ではありませんが、マーティン・スコセッシが設立したThe Film FoundationがWorld Cinema Projectとしてレストレーションしてくれました。クライテリオンから発売されている"Martin Scorsese's World Cinema Project Vol.1"コンピレーションボックスセットに収録されています。

まず、簡単に言えば二つの村、二人の女、二人の男の話です。「人生は一瞬の輝き、あったものはなくなる。子供は大人になる。ティタシュ河も明日は干上がるかもしれない。それでもカタツムリ達はゆっくりと歩むしかないんだよ。」とおじさんが言いますが、これがこの映画の全てではないかと思います。

この映画は人の顔の見分けがなかなかつかないので、これから観る人のために(ネタバレにならない程度に)少し詳しめに説明しておきますね。

舞台は1930年代のベンガル地方(現在のバングラデシュ)の漁村Gokannaghat。年頃の娘はMaghmandalという伝統儀式で結婚するしきたりです。もうすぐ年頃の娘Basantiは幼なじみのKishoreかSubolと結婚することになっています。ちなみに、Basantiが好きなのはKishoreの方。しかし、Kishoreは漁の途中の村Ujaninagarで少女Rajar Jhi と出会い結婚することに(のちに、この初夜で妊娠していることがわかる)。しかし、帰る途中に盗賊に襲撃され、花嫁は連れ去られ(たとKishoreは思い気が触れてしまう)そうになります。しかし、ボートから落ちてティタシュ河のほとりにたどり着く。

これが2時間30分強の映画の最初の30分くらいです。そして、物語らしい物語はここまで。残りの2時間は正直に言えばよくわかりません!出会いがあり、別れがあり、再会があり、そしてまた別れがあり。その繰り返しです。同梱されている解説書によるとリッティク・ゴトク監督はインド・パキスタン分離独立(1947年)に拘った監督なのだそうです。この物語はインドパキスタン分離独立前の設定ですが、後半は社会階級と村の分断が描かれています。大きな力の前になす術がない人たち。それでもカタツムリ達はゆっくりと歩むしかない。

テーマと物語はかなりバングラデシュのローカルなもので、外国人のボクらにはなかなか響きづらいものがあります。文化的な違いなのか、監督独自の価値観なのか、登場人物達に共感するのが難しいです。え?それだけで気が狂っちゃうの?え?なんでそれで死ぬの?なんで、それで自殺?みたいな。特に後半は頭の中にはてなマークがたくさん浮かんできます。タフなジェイソン・ステイサムの映画を観過ぎてしまったのかもしれません。

これも同梱の解説書に書いてあったのですが、小津安二郎に比べて成瀬巳喜男が国際的な認知が遅れたように、ベンガル映画ではサタジット・レイ監督(『大地のうた』などオプー三部作で有名)が早い段階で国際的に認知されましたが、本作のリッティク・ゴトク監督が国際的に認められるのには時間がかかったそうです。まあ、これだけローカル色が強かったら仕方ないかなと。成瀬巳喜男監督作品も、記号化された小津安二郎監督作品よりローカルと言えるのかもしれません。

それでも最後まで(2時間30分強)観ることができたのは、美しい映像のおかげです。広角レンズを使ったディープフォーカスが特徴的で、手前から奥までピントが合ってクリアです。ディープフォーカスを活用することで奥行きのある構図(手前から奥に伸びる構図)がとても効果的です。この映像美だけでも観る価値は十分にあります。