ーcoyolyー

シェイプ・オブ・ウォーターのーcoyolyーのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

映画観る時大抵編み物をしていますが編み物をする余裕もなく見入った映画はその旨を書き残すことにしています。これが私の場合一番の判断基準です。

この映画、編み物はする余裕なかったんだけど何故かやたらとお腹が空いて2時間ちょっとの間にミートソーススパゲティとたまごパンと焼き鮭弁当完食した。なんだこれ。観てる間やたらとお腹が空いてまだまだ食べたいとなっていたのに観終わった瞬間に食べ過ぎてお腹いっぱいで動けない、となってる。なんだこれ。

劇中で演奏される『黒い瞳』が三拍子であることを強調したアレンジなのが象徴しているように、劇伴の基調が三拍子、ワルツ拍子なんですよ。これを多用することで優雅で感傷的なムードを演出したかったのかな、と思ってたらエンドロールは4拍子。夢は終わったってことなんだろうか。

弱者である主人公の味方が黒人女性とゲイの白人男性というのもそろそろテンプレ化してきて陳腐になりがちじゃね?とは思うんですが今回そこに加えてソ連スパイも入ってきたからその辺がイツメンなのもこの手のニューカマーを飲み込みやすくするために許容範囲かなとも思いました。ハリウッド資本が入ってる映画でソ連スパイを善玉扱いするってものすごい冒険だから。ここはクリーチャーデルトロからの思い切った挑戦状だった。ただソ連スパイを最終的に殺さないとならないのは現在のハリウッドの限界ではありますが。

なんだかんだ言ってもサリー・ホーキンス(さっき同い年と知ってびっくりした。チャドウィック・ボーズマンぶりに同い年でびっくりした)とオクタヴィア・スペンサーが並んだ時点でこの映画に対する警戒心や武装は完全解除されました。元々デルトロ作品という信頼感はあったからいつもよりガード緩めでスタートしましたが、この時点で「ああもう大丈夫だ」と安心できた。モロ『金枝篇』の世界から抜け出してきた彼がいて、彼を見るフレイザー的な視線への批判も込めていて、フレイザーはあの時代の人にしてはかなり努力して歩み寄ってはいるけども、それでも西洋に生きるキリスト教徒の白人男性の限界はあって、デルトロはそれに同化することを拒否して拒否した人々を主役とその味方、ヒーロー、アベンジャーズとして描いているわけです。そう、これはデルトロ版の『アベンジャーズ』。どこまでも異物である自分を守るためのチームを描いた寓話。

カズオ・イシグロもだけどギレルモ・デル・トロも自分の真実を自分の真実として描くには寓話の形を取らざるを得ない。そして私もそういう人間であって、なぜこんなに不自由で骨の折れることをしなければならないのかと思う。「自由」を描くための不自由。

「彼はありのままの私を見てる」
ここ泣けたのよ。自分に引き寄せてしまって。大学時代に受けた仕打ちが走馬燈のように蘇って。

私の声は誰にも届かない。文芸学科にいたのに文章読んでもらえなくて。ゼミ選抜の時に課題文書いて入ったんだけど、いつだかのゼミ飲みで教授から「お前は最初から見た目で決めてた」的なこと言われて、朝ドラ感1000%の肉体を持っていた10代前後の私は馬鹿にされるというか侮られがちだったので、勉強は見た目と関係ないことに希望を見出しルックスで判断されることから解放されたい、と一生懸命受験勉強していくつか大学受かってその中からここを選んで大学受かってからも文章書いてってやってきて、その専攻に対するある程度の能力を認められたからそこにいるんだと思ってたのに、また見た目で、見た目だけで判断されて、書いたものは読まれてなくて、という。それまで頑張ってきたものは何だったんだ、と心が折れて。しっかりと地盤を固めてきてそこに立っていると思っていたのにその瞬間足下は砂のようにサラサラと流れて崩れていってしまって。そんな絶望感に打ちのめされてやる気無くしたのに卒業する時同じ教授に「あなたには期待してたのに思ったよりやれてなくて残念だ」的なことまで言われて、ああ私あの時あいつを殴っても許されたんじゃないかと今やっと気づいたんだけど、やっと今そのことに気づくくらいの深い傷を負って生きてきて、私の書いたものを読める人以外の人前に出るのがすっかり苦手になってしまっていて、何か文章を読んでもらうにもそれにはまず人に会わなきゃならなくてどうしよう、と思い悩んでいた頃に爆発的に普及したのがインターネット。

インターネットは福音だった。ルッキズムから解放されて文章だけを読んでもらうことがコミュニケーションのベースだったから。イライザにとっての「彼」は、私にとっての「インターネット」なのかもしれないなと思った。大学卒業するかしないかの頃に現れたインターネット。私の肉体がノイズにならない場所があること。なんだかんだでいつもいつも紙一重で私は私の命を繋ぐ何かに助けられてここまできてしまったな。

彼らにとっての水は私にとってのインターネット。私は今日もインターネットの海を泳いで生きている。
ーcoyolyー

ーcoyolyー