異形モンスターと唯一心を通わせることができたのは、研究者でも軍人でもなく、清掃係の一人の女性であった。
彼女は言葉を持たなかったが、愛と優しさだけは失っていなかったのだ。
人と違うことは、後ろめたいことでも、悲しむべきことでもない。
だって、心のあり方はみんな同じだから。
周囲とは明らかに異質な点を持つ二人の、美しく、儚い物語。
「彼は、私が声を出せないことを知らない。彼は、私の欠陥に気づいていない。彼だけが、本当の私を見てくれている」
他の誰にも干渉することの出来ない、彼らだけの愛の世界。彼らにしかなし得ない唯一無二の純愛をこんなにも綺麗に表現した作品を、僕は未だかつて見たことがなかった。
60年代アメリカの独特なレトロ感と、水や水場をうまく活用した官能描写が奇跡的な出会いを見せて、悲しみと暖かみがポジティブに共存するような不思議な多幸感に包まれていた。
水気やぬめり気は、生物が生きている証拠だと思った。だから劇中のグロテスクな殺害シーンも、モンスターの持つウロコやヒレの醜怪な造形も、なぜか嫌いにはなれなかった。
一太刀で首を切り裂いて血が溢れ出たとしても、気持ち悪さではなく、むしろ清々しい感じがした。
明らかに、いつもの鑑賞体験とはちがっていたのだ。(そもそも過度なトライポフォビアの僕が、ウロコ姿を見ていられるハズが無いのにも関わらず。)
僕は、映画を見ている自分の存在をすっかり忘れ、スクリーンに没頭してしまった。
スクリーンの枠を見失い、いつの間にか、自分も水の中にいて劇中の二人を静かに観察しているような感覚があった。
そんな経験は初めてで、僕はエンドロールを眺めながら、徐々に現実に引き戻されていくことに寂しさを覚えた。
あぁもっと、この作品の世界に浸っていたい。出来ることならずっと、あの水の中に共に生きていたい。
彼らの愛の物語に僕も加わりたい。いや、それはダメか。彼らの物語には誰も横やりを入れることなど許されないだろう…
歴としたモンスター(怪獣)映画であり、政治サスペンスでもあり、ファンタジーでもあり、そして極上のラブロマンスである。
この素晴らしい作品とギレルモ監督と、この映画に関わる全ての人に満点を捧ぐ。
マジでアカデミー作品賞取ってほしい!!!
p.s.上映前から一部で議論となっていたボカシ表現については、物語の本質に影響を与えるものではなく、問題ではなかったように思います。