くりふ

Tango(原題)のくりふのレビュー・感想・評価

Tango(原題)(1981年製作の映画)
4.0
【満員電車でタンゴを】

リプチンスキーも一時、気になって作品を追いかけていました。ビデオ・アーティストとしての活動が目立ったのは80年代でしょうかね。

本作はまだ、フィルムで撮影していたのかな?映画という括りなら実験映画、となるのでしょうが、変化するようでしない着地をしているので、映像実験、とでもいう方が相応しいか。中身が面白かったり価値的なら、言い方なんてどうでもいいのですが。

タイトルは、舞踏会のような場で大勢の人々が、互いに決して触れぬよう踊る様を、本作の展開に例えて“タンゴ”と題しているのだと思います。

登場人物は36人。狭い部屋の中を、同じ動作で何度も出入りするが、一瞬たりともぶつからず、他人のふりして決して、接点を持たない。この反復動作を重ねるだけで、スリルが醸され眼が離せなくなる。まず作者は知能犯。そして映像表現とは何かを知っている。

本作ではボールを拾うなど、それぞれの動きはごく日常的なもので、ひとつだけが部屋で行われるなら、何の不思議もなく自然なことでしょう。…たとえ性行為であっても。

それらをこのように過剰に“重ねる”だけで、こんなに異常で面白い空間が現出してしまう。

要は、時間軸をいじっているだけなんですよね。そこに気づくのが、映像表現が時間芸術であることを体感しているアーティスト、ということなのでしょうか。

女性搾取的と言われようが、全裸の美女が入ってきてナニをするか?という動作には、異様に眼を惹かれます。この場合、部屋に彼女が独りなら盗視的で後ろめたくなり、他人がぎっしり同居するなら、ナゼ皆、彼女を気にしない!と、苛立ちやら不思議な感情が醸される。

セックスを始めてしまう男女も、おもしろい。露出狂でもなければ人目は気にする。しかし、他人が同居しても互いに知らんふりなら、コトに及び夢中になる。しかし見ている側は、気が気じゃなくなる。これら“性なる毒薬”注入が、本作の過激な薪となっている。

でもコレ、日本で近しいシチュエーションがあるんですよね…世界に誇る、満員電車!

毎日、日常にあるものなのに、いかに異常かってことを本作から、思い知らされてしまう。リプチンスキーも想定外だったんじゃなかろうか?(笑)

アナログ時代に、ひとコマひとコマ、手作りで仕上げられた作品ですが、現在のデジタル技術で滑らかにリメイクした版も、見てみたい。シミュレーションの感覚ではなく、本当に36人が同居するように見えるだろうから、印象がかなり違うだろうと思うのですね。

デジタルを駆使した不可思議な映像実験、もっともっと、見てみたいものです。

<2022.10.23記>
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