『マルモイ』の地図盤。
なぜ地図を描くのか。「胸が高鳴るから。」
「たとえ成し得ぬ夢だったとしても、命ある限りわたしはその夢を追い続けたい。」
最後のセリフが刺さった。
「道の上に貴賎はなく、ただ道を進む者がいるのみ。」
最後まで、権力者に渡るのを阻止し、民に行き渡る為に、そして自らの高鳴りの為に地図を描き、掘り続けた男のお話。
『イミテーション・ゲーム』のエニグマを解読した数学者みたいに、また『マルモイ』のユ・ヘジンや言語学者みたいに、秀でた才能がある故に虐げられ、奪われるしんどさ、それに負けない彼らの心が胸を打った。
金や報酬、体裁の為にああは成れない。本当に地図が好きで、数学が好きで、文字が好きで。それを追求し止まない姿が、尊かった。
社会で色んなことを我慢し続けることに疲れた時、この作品を見たら何か勇気を貰える気がした。
たとえ変人と嫌煙されても、己の胸の高鳴ることを極めてゆけば、それなりに偉業を成し遂げるかもしれないし、たとえ叶わぬ夢でも、命ある限りそれを追求する人生も悪くない、と思える作品だった。
だいじなのは、体裁でも、成功や評価でもなく、胸の高鳴ることに直向きでいられること、そんな時間を大切にすることなのではと、考えさせられた。
音響音楽、ロケ地や美術衣装が素晴らしく、多少撮り方が「撮ってます」感を否めず役者の「演技」が舞台っぽく見えるシーンはあったが、それも束の間。
後半にさしかかるとシーンがシーンだけに勢いを増し、気にならなくなる。
韓国映画の得意とする悲哀の描写は、フリが効きまくっていた故にとてつもなくハマり、かなりの長尺でありながら一切のくどみを感じさせなかった。
『ハイヒールの男』『シークレット』に続き3作品目となるチャ・スンウォンの作品。
こんなに奥行きと振り幅のある役者さんだなんて感服。『ハイヒールの男』ではセクシーで切れ味抜群なおネエさま予備軍、『シークレット』では妻を助けようと奔走する刑事、そして本作品では杖でぶたれて娘と嫁を失ってヨボヨボになって震えながらも地図を渡そうとしない地図絵師。
『ペパーミント・キャンディ』や『あいつの声』『公共の敵』『監視者』などでお馴染みのソル・ギョングとはまた違った、一癖効いた、「臭み(男臭い感じ、渋味というべきか)」のあるカメレオン性が魅力的。
あまり視聴フリーの配信には見つからない、TSUTAYAのDVD作品に多い系の役者さん。
『ハイヒールの男』『シークレット』とこの作品だけは、配信系で観ることができてよかった。あとはTSUTAYAでレンタル予定。
こと韓国映画のマイナー系になると、TSUTAYAは強い。
いい仕事してます。笑