鑑賞後、決して理解できるはずのない天才に、深く共鳴する自分がいた。
知ってる。知ってる。
CMとかで聴いたことある。
あ、この曲も、そしてこの曲も。
天才の紡いだ音楽は、2019年を生きる20代前半の若者にも流れている。
だから、題材への抵抗感はさしてなく、流行の噂を耳にして僕は劇場に足を運ぶ。
でも、僕は彼らのことを、何も知らない。
ただそれは、隣人を知らないこと、いや目の前で笑う友人のことを知らないことと、さして変わらない。
それは程度の違いでしかない。
僕たち人間は完全に知り合うことなどできないのだ。
にも関わらず、僕らは自分を知ってほしいと願い続ける。
彼もそうだった。
天才フレディマーキュリーは、一人満たされない夜、自分の才能を理解してくれる仲間と出会う。
自分の愛を信じてくれる恋人に出会う。
そして、彼らと共に夢を描く。
しかしそれでも彼は満たされない。
彼は彼のことを完全に理解してくれる人が欲しいのだ。
彼は狂い始める。
後悔はいつだって事後。
皆が自分を見てくれるからはしゃいで、
小さなすれ違いで大切な人に当たって、
寂しいからただ近くにいる人に甘えて、
あぁ、なんて、人間。
永遠にあなたになれない、私になってくれないことの孤独を受け入れられない彼は、いつの日の、そして今日の日の、私で、あなただ。
世界中の誰もが知っている曲を作った天才なんて、完全に知り得ることはできない。
だけど僕らは、この知り得ないことの絶望だけは、知ることができるのかもしれない。
だから僕たちは時として、そんな絶望的な世界を憂いたくなる。
だけど僕たちはスクリーンの中で、最後まで彼の友人でい続けた女性や、家族同然であったメンバー達に出会うことができる。
そうすればきっと、高らかな勝利の歌が、いつだって僕たちの胸に込み上げてくるはずだ。
さぁ、捨てたもんじゃない人生を奏でよう。