KazuhiroSugano

ボヘミアン・ラプソディのKazuhiroSuganoのレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
4.2
『ボヘミアン・ラプソディー』に関する覚書(無駄に長いです)。

 観た。しかも5〜6箇所で泣いた。まず、『ライヴ・エイド』の会場、ウェンブリー・スタジアムの袖から舞台に出る冒頭で早くも「ウルっ」。その後クイーンの前身バンドである、スマイルに自分を売り込みに行くシーンで「Doin' Alright♫」と歌うシーンでまた「ウルっ」。これじゃ、体もたんわっ!
 そもそもこの企画はかなり前から(2010年)、存在していて、スタッフ・キャストが二転三転した。当初は、あのサシャ・バロン・コーエンが主演、一時は監督も兼任するのではと囁かれていた。彼をご存じない方のために簡単に解説しておくと、サシャ・バロン・コーエンとはイギリス生まれの俳優・監督で、『ボラット』(2006)、『ブルーノ』(2009)などで有名。前者は、カザフスタンからアメリカに取材に来たTVレポーター、ボラットにコーエンが扮して、無茶苦茶なことをするモキュメンタリー。プレイメイトを拉致しようとして怒られたり、相棒のおじさんとホテル内で全裸で喧嘩して怒られたりしていた。『ブルーノ』も同工異曲で、今度はゲイのファッションレポーターとなって、イスラエルに行ってユダヤ人ラビたちに怒られていた。
 そんな経歴の持ち主だから、只で済むわけがなかった。案の定、プロデューサーであるブライアン・メイ、ロジャー・テイラーとぶつかり解雇された。インタビューでは「フレディーの『セックス、ドラッグ、ロックンロール』的な側面をさらけ出したかった」と語っているようだが、もし実現していれば、完成版とは正反対の作品になっただろう(無論ヒットは怪しい)。だが個人的にはちょっと見たい。「フレディ・マーキュリーの伝記映画にサシャ・バロン・コーエン!」と聞いてワクワクしたからだ。
 そういう事情があって本作を見に行く腰は重くなった。その上、次のような個人的な「クイーン感」がこれに加わる。
 これは単なる世代論に過ぎないので退屈になると思うが、中学生ぐらいの頃に70年代クイーンを体験した、洋楽好き男子としては、「クイーン大好き!」と大っぴらに広言しづらい状況があったのだ。当時、『ミュージック・ライフ』などのティーン向け洋楽雑誌が、クイーンをアイドル的に喧伝していた。ロック通のお兄さんたちは、「クイーン? けっ! あんなのロックじゃねーよ! やっぱブルースが根っこにないとダメよ!」などと言って、若造を軽蔑していたからだ。
  私が毎週そのラジオ番組を愛聴して、洋楽のよすがとしていた評論家の渋谷陽一氏が、その番組で語っていた言葉が忘れられない。「僕はね。クイーンの音楽を聴くと、子どもの頃、台風が来たときに布団の中でラジオの台風情報を聞いていたことを思い出すんですよ。つまり、『外は台風で大変だけど、僕は布団の中で安心だ』という気分なわけです。そんな風にクイーンの音楽は実験性とは正反対の保守的なものだと思うんです。」 一言で言えば、退嬰的ということであろう。
 ま、確かに。でも、あのオーバーダビングで何十回も音を重ねたコーラス(しかもピンポン録音を繰り返しすぎてノイズが出ている)が心地いいんじゃ(ピンポン録音なんて今の若い人は分からないだろうな)! (当時はそんな言葉はなかったが、今でいう)厨二病的で大仰な歌詞や世界観が心地いいんじゃ!
 全然映画の話にならないんで、『ボヘミアン・ラプソディー』に話を戻す。ことほど左様にある程度クイーンに詳しい(特に70年代の)身としては、どうもディテールの齟齬が気にかかって仕様がない。上映当初から批判されていた、エイズ罹患をメンバーに告知するタイミングの改変に関しては、80年代のクイーンにさほど興味がないのと、ライヴ・エイドをクライマックスに持ってくるのは大賛成なので逆に気にならなかった。いやいやもっとすんごい細かいこと、例えば、「あれ? さっきパーティーのシーンで『バイシクル・レース』のPVに出てくるお姉さんがいたけど、その次に『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のリハーサルしてるよ? これ、順番、逆じゃね?」とか、『地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)』のベースラインをジョン・ディーコンが弾き始めると、ブライアンやロジャーがノリノリでセッションに加わるというシーンがあったが、「いやいや、あの曲、ロジャーは『ディスコっぽい』という理由で嫌がってたはずだよ。そもそもブライアンはレコーディングであのリフ弾いていないはずだよ。いやいやいやいや、そもそも、あの曲はマイケル・ジャクソンが『お前らなんでこの曲シングルにせーへんの?』(西寺豪太訳)って言ったからシングルになってクイーン史上No.1ヒットになったはず( https://rockinon.com/news/detail/72614.amp )。」  というか、こんな細かいことは映画の大勢に影響ないからどうでもいいのだけど、それでも気になるのは事実なのである。そもそもの話、ジョン・ディーコン役の人が似ていない。ジョンはあんなにごっつくないよ(私はジョン・ディーコンと彼の作った曲が大好きなのである)。物語が進行するにつれ、俳優さんが表情で寄せてきたり、髪を切ったら似てきたりしたので気にならなくなったものの。
 いよいよ物語がクライマックスである1985年のライヴ・エイドに向かって進むにつれ、クイーンの歴史上、非常に重要なことに気づき始める。ライヴ・エイド出演の1年ほど前に、クイーンは南アフリカのあの悪名高いサンシティに出演したはずなのである。サンシティとはアパルトヘイト(人種隔離)政策の象徴的なリゾート地およびコンサート・ホールで、反アパルトヘイトのミュージシャンたちから攻撃対象になっていたものである。そこに出演してしまったクイーンは国際的に非難囂々。私自身もこの事件でクイーンに見切りを付けてしまった感はある。ところが、このくだりはきれいさっぱりオミットされてしまっている。私が知る限りでは、この件に触れていたのはライムスター宇多丸氏(「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「ムービーウォッチメン」で)だけではないだろうか? サンシティ出演の実態に関しては http://www.tapthepop.net/live/82230 を参照していただきたい(こういうことをちゃんと伝えないから、音楽ジャーナリズムは衰退した)。映画では、ライヴ・エイドの前はメンバー間は険悪で、活動をほとんど行っていないかのように描かれていたが、実際は精力的にライヴ活動を行っていたのである(確か来日もしたはずだ)。個人的には、サンシティ出演で地に落ちた評価を、ライヴ・エイドで劇的に挽回するという物語も悪くないと思うんだが。
 確かに本作の主眼はフレディ・マーキュリーであって、クイーンではないので、フレディの孤独を強調するには現行のストーリー運びは有効なのかもしれない。これは70年代にクイーンを聴きこんで、80年代にある種の失望を味わった者の単なるワガママに過ぎないのかもしれない。
 ただ、フレディにフォーカスした物語という点に関しては、もう一つ不満がある。現役で活躍中のフレディの出自というのは、秘密にされていた。ザンジバル出身ということぐらいしか分からなかったと思う。彼の死後、ドイツのテレビ局が製作したドキュメンタリー『Freddie Mercury, the Untold Story』がNHKで放映されて、彼の一族がインドのパルーシー教徒だったことが判明する。パルーシー教とは、所謂ゾロアスター教のことであり、紀元前10世紀~11世紀にペルシャでザラスシュトラという人物が開祖となった、善悪二元論の多神教である。その後西アジアにはイスラム教が台頭し、迫害されたゾロアスター教徒たちがインドに移住し、その末裔がファルーク・バルサラことフレディ・マーキュリーというわけである。
 もともと、大師匠がゾロアスター教の本を出していて(『宗祖ゾロアスター』)、ゾロアスターには興味津々で、しかも、インドに旅行に行っていた友人から「インドのパルーシー」の話も聞いていたので、俄然フレディの出自に興味が湧いた。件のドキュメンタリーでは、母親や妹のインタビューも交えて、かなり突っ込んだ内容だったのだが、それにしても映画の方は内容が薄くないか?
 まあ、プロデューサー陣(というか残留クイーン・メンバー)は明らかにファミリー向けの一般受けをする普遍的な映画を目指しているようなので、パルーシーの扱いは軽くなるのは当然。それにしても、おじさん同士のキス・シーンを堂々と描いていたなぁ。
 このように、欠点だらけの映画だが、私はある一点のみにおいて全てを許してしまった。それはエイズ罹患をフレディが、メンバーに告白するシーンである。あの時、ジョン・ディーコンの目から一筋の涙がつうーっと流れるのである。そう、現在はクイーンに残らず、音楽業界を引退してしまったジョン・ディーコン……。彼はそれほどフレディを音楽家として尊敬していたのだ。ジョン・ディーコンのその思いをあの一筋の涙だけで表現してしまった、この映画が大好きになってしまった(ジョー・マッゼロさん、ごついとか似てないとか言ってゴメンね)。
 最後に、聞き分けのないレコード会社の重役を演じていたマイク・マイヤーズについても書きたいところだが、長くなりすぎるのでやめて、誰もが感動するライヴ・エイドのパフォーマンス・シーンについて。実際にミキサーのフェーダーを上げてしまったらしい。それだけではなく、あれは元のパフォーマンスが素晴らしいからだとしか言いようがない。つまり、1. 尺が通常のギグより20数分と短いせいか、普段のフレディ・マーキュリーなら自分の喉をかばって流して歌う(彼はとても喉のトラブルが多かった)ところを、本則で熱唱している 2. サンシティで地に墜ちた評判や、「そろそろ落ち目では?」と囁かれていた状況を打開しようとする熱気がメンバー全員のパフォーマンスから伝わること。当然、それをなぞっている映画からもそれが分かる。あと、どうでもいいけど、ボブ・ゲルドフは全然似てない。

【補足】これはニャンコ好きにはたまらんということを書き忘れた。フレディが猫好きで多頭飼いしていたという事実もあり、彼の飼っていたニャンコが度々登場する。そして飼主がテレビ画面に映るとニャンコたちが「ゴロゴロ」と喉を鳴らすのはたまりません。これは本当に猫好きの人が作った映画としか思えません。