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ボヘミアン・ラプソディの3110133のレビュー・感想・評価

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
3.1
これは再現か表現か?そして芸術か、あるいは。

ずっとレビューが書けないでいた。この映画はなんなのかよくわからない。

鑑賞中も直後もすごく面白かったし、感動もしたりした。それほど好んで聞いたことがなかったクイーンを好きにもなった。
だが、それがフレディという人物の存在の尊さによるものなのだとしたら、この映画はそれの再現でしかなく、評価に値しないだろう。私たちはフレディを媒介するものに触れさえすればよい(例えば彼の音楽やドキュメント映像などで)。

だが、この映画はラストのライブシーンへとコンテクストを編んでゆく。明らかにフィクショナルである。この映画における感動はこのラストシーンとコンテクストゆえだろう。
となれば、この映画は再現ではなく、ひとつの表現としてみるべきだろう。

表現であったとして、だがしかしそれが芸術であるとも限らない。
フィクショナルな優れた感性的な刺激も、バンド=家族というひとつの民主主義のあり方の提示も非の打ち所は特にないにしても、どうしてもそれ以上の「なにか」が立ち現れる気がしない。
思考の震えが起きない。
きっとそれは描き出されているものがフレディという存在の一面(キャラ)に留まっているからだろうか。

芸術作品が芸術の「謎の性格」を帯び、それゆえに思考の震えが起きるとして、この映画におけるこの“よくわからなさ”はそれではないように思う。“芸術かどうかがよく分からない”という位相でのよくわからなさだから。

ほかに感想があるとすると、フレディって天才かよっ!しかも典型的なロマン主義的天才のように描かれているし。
私たちは天才を前にして、両手を挙げて崇めるか、その反対に悪魔としてあるいは何らかの社会的瑕疵(クスリなどの反道徳的な行為)を引き合いにだして社会からパージする。
そのへんの限界をこの映画は全く乗り越えようとはしないのだなという感想。(同性愛は現在ではリベラルの勝利によって社会的瑕疵ではないので許容しますよ、ということか。クスリに関しては時効か、あるいは同情と共感で許すのだろうか。)

この映画、悪く言えば新興宗教の啓蒙映画となにがちがうのだろうか?

ということで点数低め。
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