140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ランペイジ 巨獣大乱闘の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ランペイジ 巨獣大乱闘(2018年製作の映画)
3.8
”セクハラ”

「巨獣大乱闘」と銘打たれたモンスターパニックムービーな今作は、まさにモンスターパニックであり、怪獣映画の魅せ方の文法やマナーで構成された、傑作でないが見た目に反しての良作ムービーだと感じた。

そして何より素晴らしいのは
今作が「友情映画」であるところ。
人と人との友情でなく
人(人ではない)とゴリラの「異種友情」
というスタンスに危うく涙をこぼすところだった。

今作を監督するのは、近年では「カリフォルニア・ダウン」、今年は「スカイスクレイパー」でロック様ことドゥウェイン・ジョンソンと3度のタッグを組んだブラッド・ペイトン。前作「カリフォルニア・ダウン」は鑑賞済で、粗削りながら大都市の破壊描写を生き物のように描いていたことと、ピンチが迫ってもロック様が人ならざるレベルのパワーとタフネスで乗り切れるという宗教じみた設定を観客に飲み込ませることのできることもあり適任であったと思う。

冒頭は、事故が起きた宇宙ステーションのシーンからなのだが、今作は物語の進行速度や絞られたキャラクター描写、そしてドアップと引きのアングルによる手際の良い”画面映え”の作り方に感心させられる。上記に挙げた宇宙ステーションの事故シーンのスリリングさと常識破綻の兼ね備え方は豪華なB級ホラー映画テイストに仕上げ、ことの発端と危機の進行準備のテンポ感はかなり良い。冒頭シーンとの切り替えにクモのドアップが使われるが、小さいモノや役者の顔のアップ含めて、度を越した”大きさ”の対する観客への引きつけはサービス精神を感じる。

そして序盤に早くも涙腺ポイントとなってしまったのはロック様と白いゴリラのジョージの友情を、怒った動物を前にした緊張感と手話にジョークを交えた会話シーン。これはココという実際に手話で2000語を扱えるゴリラのエピソードを知っているとさらに、この2人の友情を育んだであろう過程の奥行を想像し泣けてくるのである。ゴリラはあの出で立ちで繊細で臆病だったり、照れ屋な部分もあるので、本当に愛おしい動物だと思います。このシーンで最初は緊張を強いられたものの、ロック様とジョージのバディムービーとして発信する最高の滑り出し。

さて今作の「巨獣」の部分を引き起こす、極秘遺伝子操作兵器の事故によるディザスターシーンへの誘いは、故高畑勲監督の「かぐや姫の物語」の如く、ありえない成長をする動物たちともはや災害的に膨れ上がる友人の異形化という恐怖を煽りながら、サイコパス女社長や外部政府機関の嫌味でジョーカー的な立ち位置のオッサンキャラのサポートあって進行。上記で絞ったキャラクターというワードを入れたが、前作「カリフォルニア・ダウン」のとき以上に”嫌な奴”という記号的な設定に絞って敵役の存在を構築し、加えて前半は悪役のような嫌味さを持っていたが、後半は明らかに度を越したお助けキャラ化する存在によって、ご都合主義のオンパレードに拍車をかけるも物語上は潤滑油として回すことができている。むしろロック様を主演においていることと。ブラッド・ペイトン監督の手腕から考えれば、ロック様を宗教的に崇め奉っておけば、ご都合主義が向こうから勝手にやってくると思えばそれでいい仕様になっている。

最後はクライマックスに向けて成長し、凶暴化し、暴れまわるモンスターパニック描写とバトル描写について。ここは「シンゴジラ」の第2形態→第4形態にあったモンスターの成長による大きさの映し方のスパイスが効いている。上記「シンゴジラ」よりは「空の大怪獣 ラドン」のメガヌロンとそれを捕食するラドンによる、怪獣内でのピラミッド構図に近い、モンスター造形設定となっている。巨大なゴリラとオオカミとそしてワニの大乱闘になるわけだが、巨大ワニの登場描写の圧倒的格好良さとそれに対抗するゴリラの体格差を生かした無差別級映画になりえるファイティングシーンを提供してくれた。カメラワークもゴリラとオオカミの大都市破壊のシーンは対軍隊の戦車やヘリなどになるため、あえて引きのカットを使っての壊す→投げる→壊れる、ジャンプする→ビルに上る→火の手が上がるをロングレンジでとらえてのワンカットアクションシーンのように映しながら、壊して爆発するモノの前で猛々しく雄叫びを上げるシーンで下からのアップ構図にするので、距離感を使って歌舞伎風なアクション構図となっている。クライマックスの巨大ワニの登場からは、とにかく雄叫びをアップにアップに捉えて映し、迫力重視のバトルへとフェイズを進め、見る者の度胆を抜きながらクライマックスハイへとテンションを誘う。

ボスキャラとして君臨する巨大ワニのダイナミックなデスロールから死の絶望感をプンプンさせ、そしていよいよ「友情映画」「怪獣バトル映画」としての魅力を爆発させるラストは、ロック様とジョージの類まれなる友情と、度を越した雄叫びを上げ、捕食をするための口元のアップにより、グイグイ力みを入れ、乱闘とサポート展開、攻撃ヘリの機関砲→ミサイルという「シンゴジラ」で描写されたウェポンのステップ演出含め、傷の深さやダメージに対してのリターンの不平等性、そしてダイナミックなフィニッシュブローとお腹いっぱいになるようなモンスターアクションを見せてもらった。

すべてが終わったエンドロールへの道のりを再び、感傷→ユーモア→友情と気持ちの良い幕引きとしてくれ、この手のジャンルムービーとしてのサービス精神旺盛さに感謝したくなり、どうしてもロック様とゴリラのジョージの奥行ある語られない友情の育みに思いを馳せて目頭を熱くしてしまった。