ナミモト

ミスター・ガラスのナミモトのレビュー・感想・評価

ミスター・ガラス(2019年製作の映画)
3.8
特殊能力を持つがために、社会の中ではマイノリティーであるヒーロー達がいかにその社会に存在できるのか。その存在意義とは何か。
彼らは、多数派のマジョリティーの中にありながら、その中には入れない。特殊能力のキャリア達は、そのことを自覚しながら、社会の中で存在する理由を自ら模索せざるを得ない。ヒーローとなるか、ヴィランとなるか。悪が無ければ、正義は成り立たない。では、何が悪なのか?どの立場を悪と見なすのか?圧倒的に少数派である彼らには、多数派より常に突きつけられてきた問題だろう。
「あなたは、我々の味方となるのか、それとも敵となるのか?」
「しかし、多数派である我々は、我々とは違うあなた方を決して同じ輪の中には入れはしない。」
少数派を排除しようとする圧力は、常に多数派の中に存在し、その圧力が無くなる事は決してない。世界の歴史が繰り返してきた迫害や人種差別の過ちの数々が、このことを示している。少数派である彼らは、多数派を脅かす特殊能力を保持し、時にその能力によって実際に脅威を及ぼす強者の立場に立ちながら、その一方で、常に多数派から脅かされる弱い立場でもあるのだ。

特殊能力を持つ彼らの抱える脆さをそれぞれ象徴する存在が、ミスター・ガラス、そしてビーストだ。ミスター・ガラスは、天才的な頭脳を持つが、生まれた時から骨が折れやすく、脆弱な体を持つ。
一方、ビースト(ケヴィン)は母親から虐待を受けていた過去を持ち、肉食獣のような強靭な肉体を持つ人格の1人だが、主人格であるケヴィンは、精神的な脆さを抱えた人物である。ケヴィンは、その脆さを抱えた自分を守るために複数の人格を自分の心の内部に同居させている。
ミスター・ガラスとビーストは対象的な存在(身体的な弱さと強さ、精神的な強さと弱さ)だが、そうであるからこそ、タッグを組めば、最強となる。
監視者ダンは、暗躍するヒーローだが、彼がネットで拡散される暴力的な映像(ユーチューバーを連想させる)の撮影者に罰を与えることと、本作のラストはかすかにリンクしている。
ダンは煩悶するヒーローとして人間くさい点が良い。自分には能力があるようだが、確信を持てないでいる。ミスターガラスとビーストだけでは、極端な2人になってしまう。自分自信を強くするのは、自分しかいないこと、その意味では、人間が変身するヒーローらしさを保持し続けているのがダンだろう。悪人を察知する能力や、力持ち能力は、常人でも訓練と経験を積めば近づける能力である点が良いのだ。水に弱い点もきわめて人間らしい。
また、特殊能力保持者の三人のつながり、これはアンブレイカブル・スプリットからの三部作の集大成としても、申し分なく楽しめた。
個人的には、ケイシーとケヴィンの最後のシーンで、涙…だった。弱き者たちへの救い。
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